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このごろの私は、アトリエに座ると薔薇ばかり描いています。花はそれぞれに個性を持っていますが、存在感は薔薇が圧倒的です。ですから、向かい合うと気迫負けしそうになるので、気合を入れて取り掛からねばなりません。
頭の中で思い描いたとおりに仕上がるときもあれば、最初のイメージからかけ離れてしまうときもあります。作品の出来によって、喜んだり落ち込んだり・・・恥ずかしながら、私の生活の多くの部分は、作品の出来不出来で左右されてしまうのです。
アトリエのいつも座る場所の正面に、曾宮一念の字で「心の火をかきたてて描こう」と書かれた紙を貼っています。私はいつもこの言葉を読んで、心を奮い立たせてから描き始めます。
今は岐阜に暮らしているその友人とは学部も学科も同じ、書道への志も同じ、さらに画の方も同門でしたので、授業は勿論のこと、学校以外でも一緒に行動していることが多くありました。飯田満佐子先生のお宅へは共に通い、師の個展といえば共に手伝い、礼儀作法がなっていないと叱られるときも一緒でした。思い出しても、笑ってしまうようなことが多々ありました。
友人は、卒業するとすぐに故郷へ帰ってお習字の先生となり、私はしばらく東京に残り離ればなれになりました。今はもう絵を描いてはいないようですが、時々電話で話すたびに、前向きに明るく暮らしている様子が伺え、いつも元気をもらっています。
今年も柿の季節になりました。2週間前におばあちゃんになった友人へ!「おいしい富有柿をありがとう!」
今回の広島への旅で、とても楽しみにしていたことがありました。それは、大学生の頃の友人に35年ぶりに会えるということです。この友人は、私たち夫婦と共に青春を謳歌した仲間で、特に夫とはいつも一緒に行動していたような記憶があります。
70年安保の世代で、ほとんどの学生は好むと好まざるとにかかわらず、時代のうねりの中で問題意識を持って生きていたと思います。デモに参加し、集会に参加し、反戦フォークを歌い・・・まさにユーミンの「イチゴ白書をもう一度」の世界です。そして、その歌詞の通りにみんな髪を切って就職しました。故郷に帰った彼は、今では地元企業で偉い人になっています。勿論、歳はとっていましたが(それはお互い様!)、しゃべる仕種や歩き方は昔のままで、懐かしい思いが溢れてきました。一回り年下だという若い奥様を傍において、本当に幸せそうに話していました。
友人は、お母様が残してくれた小さな畑を耕し、色々なものを作って楽しんでいるそうです。この日は、収穫した柚子を持ってきてくれましたが、学生時代の彼からは家庭菜園など想像すらできません。“時”の力は偉大なものだ!(笑)と、改めて感心しました。
帰ってから食べた柚子の味は、格別なものでした。
宮島には、いたるところに鹿がいます。山の中にも、商店の並ぶ参道にも、細い路地にも、海辺にも、普通に鹿が歩いています。現在、約500頭が暮らしているそうです。
“鹿と人との共生”といえば、奈良公園が有名ですね。これは、「春日大社の神様が、鹿島神宮から白い鹿に乗ってやってきた。」という故事によって、“鹿は神の使い”という伝説が生まれ、人々が特別に大切にしたからでしょうね。春日大社ほどではないにしても、宮島の鹿の歴史も、西行の書物に出ているくらいですから相当古く、共に生きている風景も自然そのものです。
しかし、神の使いとして人々に可愛がられるのは、そうした伝説だけではないように思います。とにかくそばで見ると、とってもチャーミングで、特に睫の長い目で見つめられると、ついつい微笑んでしまいます。季節は紅葉の秋・・・もみじとピッタリ似合っていました。
参道を抜けて、目の前に大鳥居が現れたときは感激しました。雑誌やテレビの画面でしか見たことがなかった朱色の姿が目の前にありました。ちょうど干潮だったので、拝殿から百八間の場所に立つ、高さ16.8mの大鳥居のそばまで行くことができました。すると、この鳥居の6本の柱が自然木であることがよくわかりました。主柱の周囲は約10メートルもある巨木です。これが自重だけで立っているとは驚きです。
そもそも、鳥居というのは、俗界から神域への入り口(結界)なのですから、海の中にあることこそ不思議です。社殿も海上社殿ですし、正面から参拝しようと思えば、海から行くしか方法はないですね。きっと、海上交通の安全を祈願した海人たちの守り神なのでしょう。理屈はどうであれ、自然を取り込んだこの美しい場所に、神社を建てた発想には感服します。
日本三景の一つ「安芸の宮島」、今では世界文化遺産です。古より最もポピュラーな観光地なのに、私は初めて訪れました。
宮島口より島までの船から見る景色は、空高く、海青く、彼方には朱塗りの大鳥居と厳島神社が見えます。それを取り巻く山々は赤や黄色に色づき、想像していた以上の美しさに「まさに神の島だ!」という思いを強くしました。
さて、宮島といえば“もみじ饅頭”と“杓子”ですね。桟橋から船を降りて、厳島神社に向かう参道の脇に、ここに描いた“大杓子”が展示されています。長さ7.7m、重さ2.5t、あまりの大きさにびっくりしましたが、杓子発祥の地である宮島のシンボルとして、昭和55年から2年10ヶ月をかけて作られたそうです。そういえば、甲子園大会で杓子をたたいているのは、広島チームの応援団でしたね。私も、桜の木でできたものを記念に買って帰りました。
18日の昼前に広島に着きました。「駅からタクシーで・・・」と言われていましたが、路面電車に乗って、福屋のある八丁堀までガタゴトと揺られて行きました。
「こんな路面電車が、かつて清水にもあったな~」と懐かしく思い出しながら、窓からの広島の町を楽しんでいました。すると、大通りに面した歩道にも、商店街にも、沢山の屋台店が出ています。あまりに多くの人出にびっくりしていると、この日が丁度“胡子大祭”だったのです。胡子神社には長い列ができており、神主さんが長い棒を持ち、その先に付けた幣で、お参りの人の頭をなでてお祓いをしています。勿論、私が並んだことはいうまでもありません(笑)。熊手を買ったお客さんとお店の人が、手打ちをしている景気の良い音があちこちから聞こえてきます。この第一印象で、私は広島の町が大層気に入りました。単純なんです(笑)。
サイン会では、思いのほか多くの方々に来ていただき、お話しをすることができました。中でも、来年の2月2日に結婚が決まっているお二人が、その記念にと私の絵を選んでくださったことに感激しました。純粋なお嫁さんのことが、今でも強く心に残っています。益々広島のことが好きになったのは言うまでもありません。
16日から、ギャラリー未来にて「毎日の般若心経展」が始まります。
私が日課として一日一枚書いている般若心経は、作品とはまったく別のものです。普段描く作品を、“発表を前提として描いているもの”とするならば、般若心経は、謂わば“毎日の私の祈りで、あくまでも内なるもの”なのです。(2月20日のこのブログにも、拘りの一つとして「決して作品として発表しないこと」と書いてあります。)ですから、この展覧会は、開くことを予定していたものではなく、ある事情で急遽決まったものなのです。誰かが困ったときに役立つならば、少しくらい信念を曲げてもよいのではないかと考え、今回、皆さんに見ていただくことになりました。お時間がありましたら、どうぞご覧下さい。そして、貰っていただければ尚幸いに思います。
昨日描いた“インドの木箱”は、銀座8丁目の民芸店「たくみ」で買ってきたものです。木製なので、中に小さなビンでも入れて花を生けてみようと思います。
さて、個展会場には、全部で26点の作品が飾られていました。こうして並んだ自分の作品を見る時、いつも心がけていることは、“できるだけ客観的にながめる”ということです。言うは易く・・・で、思い入れがある分、これが中々難しいのです。
お客さんの途切れたときに、航君(アールアン社長のお孫さんで、小学1年生です)と二人で絵を描いて遊びました。航君は、子供ではあっても、いつも絵を見て暮らしているので、眼力があるのです(笑)。この日は、生まれて初めて墨をすり、筆を持って描いたことにとても感動していました。
今日の心経には、その時私を描いてくれた絵を思い出して描いてみました。航君ののびのびとした線を巧く表現できたでしょうか。子供の絵は、いつも勉強になります。
今日は、「銀座OS画廊」での個展最終日で、久しぶりに銀座の風に当たってきました。開場時間より早く着くように出かけ、何箇所かの画廊を見て回りました。銀座だけでも数百軒の画廊があり、そこで有名無名の美術家の作品を展示しています。若い頃は、そうした多くの作品を見るために、しばしば子供の手を引いて、銀座の画廊巡りをしたものです。
20代の後半で団体から抜け出し、一人で創作活動をしてきたため、自分の立ち位置を確認するのが大変でした。田舎で、しかも一人っきりの制作ですから、情報量が少なく不安でしたし、若い時代でしたから、きっと自分を信じきれなかったのでしょうね。唯一の確認作業として画廊巡りをしていたように思います。また、それが勉強でもあったわけです。
今日、久しぶりに「日動画廊」で、中川一政の原画を見てノックアウトされました。でも、自分に足りないものが少し見えてきたので、わりと心地よいダウンでした。やっとここまで来たと思ったら、まだまだ見えない先がある・・・今後も、きっとその繰り返しなのでしょうが、光を目指さないわけにはいきません。できることは・・・今日一日の一歩です。
今日は立冬・・・でも、少し動いていると汗ばむほどです。早々と冬支度は済ませたので、いつ寒くなっても大丈夫です。ドンと来い!
近くの公園まで散歩して、落葉を拾ってきて描きましたが、真っ赤に色づくモミジもまだ緑色で、紅葉するのはずっと先のようです。
足元の落葉が、風に吹かれてカサコソと動きました。すると・・・「焚くほどは 風がもてくる 木の葉かな」・・・良寛様の句が突然頭に浮かびました。私は、この句が大好きで、良寛様がこの句によって“足るを知る”ことを諭しておられるのだと解釈しています。こんな心境に心底からなれたなら、本当に幸せなんだろうなといつも思います。贅沢にならぬよう自分の心を戒めるために、これからもこの句を大事にしたいと思っています。
最近、夫の車の助手席に座ると、「コブクロ」のCDを聞かされます。元々音楽は好きですが、息子たちに影響されて、齢に似合わず今どきの音楽を聴いています。中でも「コブクロ」の曲が気に入っているようで、「綺麗なメロディーをつくるな~!」などと感心しながら繰り返し聴いているので、ちょっと辟易します(笑)。でも・・・曲もさることながら、私は詩に感動しました。『永遠にともに』という曲の、次の一節など中々気に入っています。
♪偶然という名の運命 そんな出逢いだからこそ 何気ない瞬間を 今日からはかけがえのない瞬間に
共に歩き 共に探し 共に笑い 共に誓い 共に感じ 共に選び 共に泣き 共に背負い 共に抱き 共に迷い 共に築き 共に願い
ささやかな幸せが 木漏れ日のようにやわらかに降り注ぐ そんな日々を描きながら いつの日も どんなときも♪
どうですか?ちょっと照れくさいですが、青春の日々を思い出します。
山茶花は、初冬を代表する花木ですね。♪サザンカ サザンカ 咲いた道 焚き火だ 焚き火だ 落ち葉焚き・・・♪と、唱歌にもあるように、もう少し寒くなると、家々の生垣に咲いているのが見られます。顔を近づけると、甘い香りがします。山茶花には薬効作用もあるようで、鈴木昶著『花のくすり箱』には次のように書かれています。
「師走に入ると、何かと忙しくストレスがたまりやすい。それが続くと感情のバランスを失い、動悸がしたり、不安感にさいなまれたり、不眠に悩まされたりするもの。そんな時外へ出て、サザンカの樹木から出る清らかな“気”をもらうようにしたい。サザンカの甘い香りがストレスを癒してくれる。」・・・ヘ~ッ!と思ってしまいました。まさにアロマセラピーでしょうね。山茶花に限らず、花の香りは気持ちが落ち着きますからね。
香りもそうですが、小さな蕾から花開こうとするときの、まだ広がりきれずにシナシナとした花びらの様子が私は好きです。似てはいても、椿とは大分趣が違いますね。
家の近くの大沢川に沿って歩き、小さな橋の上から北西の空を見上げると、高く澄み渡った空にいわし雲が浮かんでいます。紅葉した桜の木の間からは、見慣れた竜爪山の姿を望めます。季節の移ろう様子を実感できるこの場所は、私のちょっとした散歩スポットなのです。
「11月の風は気持ちがいいね・・・」などと、とりとめのない会話をしていると、スーッと飛んできた赤とんぼが肩に止まり、目をグルグル回して前足で頭をこすりました。風が冷たくなってきて、もう元気がなさそうです。そういえば、子供の頃にはシオカラトンボやオニヤンマなど、沢山見かけたトンボを今は目にしませんね。日本は古来「秋津島(アキツシマ)」と呼ばれていたくらいですから、トンボ(秋津)はわが国の象徴のような存在なのに・・・そう考えるとちょっと淋しくなりました。何を見てもセンチメンタルになるのも、秋のせいでしょうか(笑)。
茅ヶ崎の大野さんより、この石榴が届きました。日課の散歩の途中で、知り合いの方からいただいた物だそうです。私の散歩コースにも石榴の木があります。花は朱赤がとても可愛らしく、いつも見上げると青い空にピタリと映えて、どこか懐かしく大好きな花です。子供の頃は、実も良く食べましたが、口の中に種を溜めては、プップッと飛ばしたことを思い出します。ほんのり甘くて、やっぱり懐かしい味です。
若い頃は、大きな展覧会にも出品していましたが、その最初の作品が、この石榴をモチーフにした100号の大作でした。幻想的に仕上げようと言う気負いと作為が入りすぎており、今見ると恥ずかしくなりますが、「私の絵もここから始まったか・・・」という感慨はあります。
アトリエの壁には、鈴木信太郎の「ざくろ」のクレヨン画が飾ってあります。使っている色はたった3色、その力の抜けた自然なタッチの作品をながめ、「まだまだ及ばないな~」と思うこのごろです。