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2007年10月31日 (水)

10月30日 達磨図

Dscn1717 このダルマさんは、東京に居る三人の息子の物です。何年か前の初詣の折に購入し、それぞれの願い事を書き入れて、居間に置いてあります。今年の正月に、やっと一つだけ目が入りました。願いが成就したのは次男坊だったようです。でも、今までも、いつも何かに挑戦している子だったので、きっと今度の正月には、新しいダルマに新しい目標を書いて置いて行くのでしょう。あとの二人のダルマには、いつ目が入るのか楽しみです。困難なことが多いでしょうが、どんな時も志を高く持って、自分の信念を貫いてもらいたいと願っています。

2007年10月30日 (火)

10月29日 プラズマ図

Dscn1714 いくつになっても“自由な思考”ができれば、それはきっと素敵なことだと思います。私の愛読する『般若心経』(公方俊良著)の中に、次のようなことが書いてありました。

「われわれが住む地球では、あらゆる物質が固体、液体、気体でなりたっています。その定まった秩序は、すべての人に共通した認識を生じさせます。・・・・・そして誰にも共通したこの認識が“常識”をつくり出します。普通、私たちはこの常識によって生きています。だから、火の玉や幽霊が出てきたり、UFOが飛来したりすると、たちまち仰天してしまって、思考の混乱をきたします。しかし、地球以外の宇宙では、固体、液体、気体のように定まった形成物質は全体の10%くらいで、他の90%は、これらの崩壊した状態、つまり“プラズマ”であるといわれます。そうすると、火の玉も幽霊もUFOも、別に不思議な現象ではなく、日常現象ということになります。・・・中略・・・よくよく考えてみますと、この地球上のとても身近なところに、プラズマに似た脱常識が存在しているのです。それは何かといいますと、人間の思考です。しかし、プラズマのように自由ですばらしい頭脳を持ちながら、人間は何と常識に縛られ、かたくなに生きているのでしょうか。・・・後略・・・」

ここで言うプラズマ的発想で絵を描いていたのが、「芸術は爆発だ!」といった岡本太郎だと著者は続けます。世間から見れば非常識な印象の人で、私も岡本芸術の良さを未だに理解しているとはいえませんが、確かにその思考は自由で、閃きから出る表現の奇抜さは他を圧倒しています。心に余計なものを溜め込まず、まるで少年の持つ夢を自由に描いたような人であったろうと思います。表現者は、常識を放棄できなければ、人に感動を与えられるような作品を創造することができないのでしょうね。

2007年10月29日 (月)

10月28日 富士山図

Dscn1713 『宇都宮 東武』でのサイン会のため、9時11分の「ひかり」に乗り出かけました。富士川にさしかかった場所から富士を望むと、雲一つない秋晴れの空に雄々しく聳え立つ姿は、まさに「日本一!」と声をかけたくなるほどでした。

昼前に宇都宮に到着し、「二荒山神社」に参拝をしましたが、これは恒例になった土地の神様へのご挨拶です。この日は“菊水祭”という秋祭りが催されており、そのうえ七五三の親子連れで随分賑わっていました。

サイン会場でも、お客様と大好きな良寛様のお話しができたり、楽しい時を過ごさせていただきました。帰りには勿論“ギョーザ”を買って帰りましたよ(笑)。

2007年10月28日 (日)

10月27日 写真機図

Dscn1712 これは私の愛用の写真機です。今では、フィルムの写真機など過去のものとなりました。文明の進むテンポがどんどん速くなります。ピントを合わせる必要もなく、私向きの便利な物ができたと喜んでいたのは、つい最近のような気がしますが・・・。“道具”に対する考え方や接し方が、昔の人と現代人との間には大きな隔たりがあると思います。確実に「愛着の度合いは違うだろうな」と感じます。

わが家でもデジタルカメラを購入したため、この写真機も御用済みとなりました。しかし、昔から子供たちを随分写してきたこの写真機を、簡単にお払い箱にすることができず、今は描いた作品を写す記録用写真機として使っています。私にとってのこの道具は、“カメラ”ではなく、いつまでも“写真機”です。

2007年10月27日 (土)

10月26日 薔薇の花びら図

Dscn1710 1週間前にombakから購入した薔薇は、アトリエの真ん中で赤絵の壷に生けられたまま、未だにその魅力を輝かせています。筆を進めながら、僅かに空気が動く気配に目を上げると、斑入りの薔薇の花びらが、ハラハラと毛氈に落ちてきました。

この世で形あるものに、“永遠”の物などありません。とどめておきたいと願っても花は散ります。諸行無常です。だから、花とさえ出会いの喜びを分かち合う・・・。お釈迦さまの説かれた“慈悲”の心がちょっぴり理解できました。

2007年10月26日 (金)

10月25日 薔薇図

Dscn1709 どんな時も、どんな場面でも、“平常心”が大切ですね。何事も我を見失うと必ず失敗しますが、絵を描く場合も同じです。気持ちが入りすぎたり、「力作を・・・!」と気負ったりすれば、碌な作品にはなりません。ですから私は、描き始める前に筆洗の水を取り替え、美の神様に祈ってから筆を取ります。長い制作活動の中で、いつの頃からか自然に始まった習慣です。

2007年10月25日 (木)

10月24日 薔薇図

Dscn1708 いつものことですが、薔薇の美しさには圧倒されてしまいます。何度も何度も描いてきたはずなのに、その度ごとに感動します。今回は、臙脂の鹿の子の布の上に赤絵の壷を置き、約30本の赤系の薔薇を活けて、赤尽くしの作品を描いています。

西日が隣家の白壁に反射して、アトリエの窓から射すその光が、わずかの時間薔薇を輝かせて、美しさを一層際立たせます。この瞬間を捉えようと思い筆を取りますが、中々巧くはいきません。明日は、薔薇の精にでも助けてもらおうと思っています。

2007年10月24日 (水)

10月23日 秋の仲間図

Dscn1707 秋の仲間たちを並べて描きました。烏瓜・渋柿・松ぼっくり・早生みかん・アケビ・はやと瓜・次郎柿・・・もっといっぱい描きたかったけれど、入りきれませんでした。秋は植物の色合を見ているだけで楽しくなりますし、空も高いせいか、鳥のさえずりも美しく澄んで聞こえます。

でも・・・八月生まれの私は寒さに弱く、ここから先の季節を思うと、ちょっと気が重くなります。したがって、今日は早々と冬支度に取り掛かり、私の冬用必須アイテム(自称「寒さ知らず」)などを用意しました。季節の変わり目・・・お互い気をつけましょうね。

2007年10月23日 (火)

10月22日 アケビとミニカボチャ図

Dscn1706 早朝、息をきらせたもっちゃんが、紙袋に何やらいっぱい詰めて「のりちゃ~ん!」と訪ねてくれました。玄関先で開いてみると、中から沢山のアケビとミニカボチャが出てきました。アケビは妹さんが山で採ったもの、カボチャはハロウィン用なので顔と手足のシール付きです。

もっちゃんの楽しい話しを聞き、妹さんのご亭主が撮ったという花の写真など見ながら、一頻りおしゃべりをして、私も血の巡りが良くなったので、すぐに筆を取りこれを描きました。アケビはもう柔らかく熟れているので、明日にも口を開けるかもしれません。

一夜さに 棚で口あく 木通(あけび)かな (一茶)

2007年10月22日 (月)

10月21日 コスモス図

Dscn1705 たった一輪のコスモスに、心奪われた2日間でした。

先日の雨の日、自転車で走り回っているときに、あるお宅の玄関先に咲いていたコスモスが、かつて見たことのないものでした。赤と白が混ざりあったコスモスで、大変珍しく、新種に違いないと思いましたが、先を急いでいたこともあり、引き返すことはしませんでした。

日曜日の朝、夫を誘いスケッチブックを持っていそいそと出かけました。歩くこと20分、目的の家を見つけて、ワクワクしながら塀越しに覗いてみると・・・ナント!コスモスではなく違う花だったのです。残念!

このところ、コスモスの魅力に囚われていたので、想像の世界で自分だけのコスモスを作ってしまいました(笑)。思い込みが強い性格で、こんな錯覚がたまにあるのです(笑)。

あの日・・・一瞬目の端でとらえた“幻想のコスモス”は、それはそれは美しく私の中で広がり、二日間だけでも幸せな気分にしてくれました。。

2007年10月21日 (日)

10月20日 薔薇と眼鏡図

Dscn1704 若い頃から視力は良くて、検眼するとず~っと1.5でした。親には感謝していましたが、寄る年波には勝てず、50歳を過ぎる頃から“遠近両用眼鏡”をかけるようになりました。

最近、老眼が進んで、愛用の眼鏡では文庫本の文字などぼやけ、絵を描くときも細かいところが厳しくなりました。そこで、ここに描いた眼鏡をあつらえたわけですが、「少し個性的にしたほうがいいよ!」という子供のすすめで作った黒縁メガネですから、中々外にかけて出かける勇気がありません。だから、このメガネは今のところ家の中だけの“こっそり眼鏡”(笑)です。

2007年10月20日 (土)

10月19日 秋櫻図

Dscn1703 今日は久しぶりの雨で、心身ともに潤いました。午前中は家事をしたり、個展用に描きためた薔薇の絵を荷造りしたり、午後も用事があって自転車で動き回っていました。四時頃から雨に降られましたが、知らない家の軒下を借りて用意のカッパを着込み、手の甲に当たる雨を“ちょっぴり冷たく感じる季節になったな~”などと思いながら、また走り出しました。

もう30年乗っているこの自転車で、息子を幼稚園に送ったり、ピアノ教室に送ったり、後ろに乗せて、雨の日も風の日も一生懸命走りました。最近は、雨降りに自転車に乗ることなどなかったので、カッパに当たる雨音が懐かしくて、走りながらついつい昔を思い出しました。

2007年10月19日 (金)

10月18日 蕎麦の花図

Dscn1702 数年前、蕎麦の花の絵を描いてほしいと依頼されたことがあります。蕎麦を食べるのは大好きですが、花をまじまじと見たのはこのときが初めてでした。枝の先に小さな白い花をびっしりと付けていて、作品にするには中々骨が折れました。その絵は現在、都内の某蕎麦屋さんに飾られています。ところが今回再び描くことになって、久しぶりに蕎麦の花と対面してみると、その可愛らしさに魅了されてしまい、その生命力にも改めて感動しました。

秋蕎麦の時期をちょっと過ぎたので、花が見つかるかどうか心配だったのですが、興津川の上流で小さな蕎麦畑を見つけました。本当に嬉しくて、芭蕉になったつもりでつぶやきました。・・・「蕎麦はまだ 花でもてなす山路かな」・・・

2007年10月18日 (木)

10月17日 ケナフ図

Dscn1701 今朝も、もっちゃんが我が家へ寄ってくれました。手には見たことがない植物を持っています。愛知に居る妹さんから送られてきた「ケナフ」とのことです。繊維植物で、古代エジプトのミイラを包んでいた布に用いられていたとか・・・断片的な知識はあるものの、目にするのは初めてです。自然に群生しているケナフの花は、オクラのように白い花だそうですが、持ってきてくれたのはピンクの花が咲く食用ケナフです。かのクレオパトラもケナフティーを愛飲していたそうで、今では健康飲料として女性たちに人気があるそうです。これを飲めばクレオパトラのように・・・!?ちょっと心動かされますね。(笑)

2007年10月17日 (水)

10月16日 丹波の黒さや図

Dscn1700 これは、友人のもっちゃんが届けてくれた「黒さや」です。丹波名産の黒大豆の枝豆で、京都で暮らしている娘さんが、ご両親のためにと送ってくれた物を、「お裾分けです。」と、私の所にまで届きました。この黒さやは、10月5日頃から20日頃までが食する適期だそうで、まさしく旬!“秋の味覚”を堪能しました。

それにしても、先日のさつま芋といい、この枝豆といい・・・見ているだけで自然と笑みがこぼれ、元気をもらえる姿ですね。莢の中の豆がモコモコとしており、描いていると次第に“次男坊の力瘤”に見えてきました。(笑)

2007年10月16日 (火)

10月15日 秋櫻図

Dscn1699 「コスモスが入りましたよ!」と、ombakから電話がありました。期待していたとおりの、白と桃色と臙脂のグラデーションがとっても素敵な、かわいいコスモスです。さて、どんな作品にできあがるでしょう!

音楽や匂いや風景で、人生のある時期が甦ることってありますよね。私はコスモスを見ると、不思議と幼いころを思い出します。幼馴染と原っぱを駆け回ったり、かくれんぼをしていたころの事です。ですから、いつも優しい気持ちになります。きっとこの花にはそんな力があるのでしょう。だって・・・コスモス(宇宙)ですから・・・。

2007年10月15日 (月)

10月14日 陣馬の滝図

Dscn1698 コスモスを見に行こうと思い立ち、朝霧高原へ出かけました。途中、田貫湖に寄って湖畔を散策し、そこから西湖へ向かおうと猪ノ頭を走っていると、「陣馬の滝」という看板が目に入りました。聞いたこともなかったので、なんとなく立ち寄ったのですが、思いの外美しい滝でした。スケールは称名滝とは比べようもありませんが、そこはかとない趣があり、親しみやすさを感じました。

名の由来は、「富士山の麓で巻狩を催した源頼朝が、日が暮れて滝の近くに一夜の陣を敷いた。それから後、その滝を陣馬の滝というようになった。・・・」と説明書きにありました。溶岩層の隙間から湧き出す水ですから、とっても綺麗でとっても美味しい水でした。私は大発見をした気分でしたが、きっと皆さんご存知の場所なのでしょうね。

しかし、あれだけ綺麗に咲いていた朝霧高原のコスモスは、いったいどこへ行ってしまったのでしょう?一本も見つけられませんでした。

2007年10月14日 (日)

10月13日 夫婦人形図

Dscn1682 民族民芸村では、「民芸館・合掌館・陶芸館・とやま土人形工房」と、時間の許す限り見て回りました。移築された合掌造りや、陶芸館に並べられた国内外の作品など、中々心魅かれるものがある文化の里です。

「とやま土人形工房」では、夫婦人形を買いました。素朴で、その土地の匂いがする土人形が好きで、今まで集めたものがアトリエに並んでいます。富山でも「天神様」や「抱き雛」など、江戸時代から伝統的な土人形が作られていたそうですが、後継者が途絶えて、今では市民から受講者を募りながら、伝統技法を後世に伝えようと努力されているそうです。

ここに描いた「夫婦人形」は、民間信仰から生まれた「お便所の神様」だそうです。帰宅すると、私もさっそくお手洗いにこの人形を飾りました。この顔を見ると、ついつい笑顔になります。

2007年10月13日 (土)

10月12日 賓頭盧尊者図

Dscn1681 大和百貨店でのサイン会は午後2時からなので、朝食後、ホテル近くの諏訪神社に参拝してから、予定していた「富山市民族民芸村」へ向かいました。

あいにくの雨だったのでタクシーに乗り、運転手さんに行き先を告げると、「民芸村に行くなら、長慶寺の五百羅漢を見学したほうがいいよ。」とのお勧めがあり、それならと「長慶寺」から廻ることにしました。その寺は、晴れた日には立山を望めるという小高い場所にありました。今日描いた「賓頭盧(びんずる)尊者」の石像は、沢山並んでいる羅漢像の中でも特別の場所に置かれていて、説明書きの立て札も特別に添えられていました。

その説明書きには・・・「お釈迦様が在世のころ、特別の神通力の持ち主であった賓頭盧尊者が、その神通力を世の人々に自由自在に誇示して見せたので、お釈迦様がお怒りになって、『お前は究極の悟りを得ず、この世にとどまって仏法を守り、人間の病を癒し、多くの衆生を救いなさい』と命令された。尊者はお釈迦様の言葉を守り、今に至っても人々を救う菩薩である。」・・・とありました。わが国では、今も多くのお寺に尊者の像があり、病を治す「なでぼとけ」としての“びんずる信仰”があるそうです。

雨の中で、傘をさしながらのスケッチでしたが、尊者の“神通力”の端っこでもいただけるように、心をこめて描きました。

10月11日 称名滝滝壺図

Dscn1680 昨日描いた絵だけでは、称名滝を収めきれませんでした。なにしろ、前長350mの滝ですから・・・。いつか大きな紙で挑戦してみようと思っています。

これは清水に帰ってから友人に聞いた話ですが、気象の変化が激しいので、滝の上部を雲が隠したり、霧が出たりと、この滝の全体像を清々と眺めることは、中々できないのだそうです。何も知らないで行った私ですが、運がよかったとしか言いようがありません。

滝のスケールにも驚きましたが、もうひとつ感動したことは、この水の透明度の高さです。空の青が写っているわけではないのに、深いところは勿論、浅瀬でも美しい青色なのです。こんなきれいな水はかつて見たことがありません。さすが、神々の住まう立山連峰の雪解け水だと感心しました。

2007年10月11日 (木)

10月10日 称名滝図

Dscn1679 称名滝に到着したのが、既に夕刻近くになっていました。バスの最終便まで1時間。「山道30分」と表示されていたので、単純に計算すると往復するだけで終わりです。そこで、意を決して早足で歩き、時間を半分に短縮しました。少々くたびれましたが、落差350m日本一の壮大な姿を、滝見台から存分に鑑賞することができました。

「称名」の名は、法然上人が立山登山をした折、滝の音が「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」と称名念仏の声のように聞こえたところから、「称名滝」と名付けられたということです。この由来については、後に調べて知ったわけですが、私も滝を見た瞬間に思わず合掌してしまいましたから、法然ならずとも、私のような俗人にさえ、この滝には何か訴えかけるエネルギーがあるのでしょうね。胸に迫り来るものを感じました。

2007年10月10日 (水)

10月9日 悪城の壁図

Dscn1678 富山駅に着いてすぐ、計画どおり電鉄富山に乗り、終点の立山まで行きました。立山連峰をスケッチしようと楽しみにしていたのですが、ロープウェイがとても混んでいて叶いませんでした。それならばと、予定を変えて「称名滝」に向かうバスに乗りました。

窓外の景色を眺めていたら、称名川に沿って切り立った断崖が現れ、その異様な景色に圧倒されました。すぐに車内に「右手に見えるのが、アクシロの壁です・・・」とアナウンスがあり、私は寡聞にして知らなかったけれど、有名な岩壁だったんだと認識しました。後で観光案内版を読んでみると、「高さ500m、延長2キロメートルの一枚岩盤で日本一を誇る。」とありました。「アクシロ」と聞いたとき、どんな漢字を当てるのか想像できませんでしたが、答えは「悪城」でした。これは、“人を全く寄せ付けない”という意味があるそうですが、まさに、さもありなん!と思わせる姿でした。

2007年10月 9日 (火)

10月8日 金木犀図

Dscn1677 夜11時前に、静岡に到着しました。強行軍でしたが、おかげさまで疲れはありません。明日からまた、旅日記を書きたいと思っています。

数日前から、大好きな金木犀の匂いが町に広がってきました。富山でも、立山までの電車の扉が開くたびに、金木犀の香りに包まれて幸せな気分でした。

10月7日 梨と林檎図

Dscn1676 次の文は、フジ子・ヘミングの『魂のことば』の一節です。

「いくつになっても、夢に向かって進めばいい。いまよりよくなる、前進してみせるって気持ちを胸に秘めて。私も明日こそ、来週こそ、もっとうまい演奏ができるといつも信じていた。そう信じていると、不思議なことにそうなるものよ。」

本当に共感できる力強い言葉です。何歳になっても、今が大切です。いつも未来の話をしたいものです。夢に向かっていたいものです。私も、“心に響く絵”をずっと追いかけたいと思っています。

2007年10月 7日 (日)

10月6日 鳥おもちゃ図

Dscn1672 今日、明日と富山へ行ってきます。大和百貨店でのサイン会です。富山市も初めて訪ねる場所で、とても楽しみです。・・・それでは行ってきます。

2007年10月 6日 (土)

10月5日 水引草図

Dscn1671 「ミズヒキグサ。タデ科の多年草。漢名:金線草。」と、辞書には書かれています。こうした時いつも思うのですが、植物の命名について、“漢名”と“和名”の違いに面白さを感じます。この草を見て、日本人が「金線草」と「水引草」のどちらを選ぶか、統計を取ってみたいような気がします。風土によって感性は違ってきますから、命名も異なって当たり前ですね。分かっているのですが、いつも引っかかってしまいます。(笑)

さて、水引草の季語は秋。長塚節の歌に「秋の日は 水引草の穂に立ちて 既に長けど暑きこのごろ」とあります。秋とはいえ、今日も本当に暑かったですね。

10月4日 薩摩芋大家族図

Dscn1670 美代子さんが持ってきてくれた、このサツマイモの凄いこと!びっくりしました。おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、そして子供たちと・・・短い蔓に8個もくっついています。眺めているだけでほのぼのとしてきますね。

以前、「ド根性大根」が話題になりましたが、この芋や大根に限らず、人は植物の色々な現象をわが身に置き換えて考え、そこから勇気をもらったり、喜びを感じたり、同情したり、怒ったり・・・まるで人格があるかのように扱います。中々面白いことだなあと思いますね。

今日は私も、けなげにぶら下がっているサツマイモに、元気をもらいました。

10月3日 カラー(ピカソ)図

Dscn1669 アトリエに居ると、昼も夜もチィッ・チィッ・チィッ・・・と鳴く虫の声が聞こえてきます。「あれはなんという虫でしょう?」と、耳を澄ませば、ついつい筆が止まってしまいます。時には、誰かを探しているような悲しげな声に聞こえたりもして、こちらまで淋しい気持ちになるのは、“秋”のなせる業でしょう。

実りの秋、読書の秋、絵画の秋、そして物思いの秋etc・・・四季の中でも、一番感性を刺激される季節です。充実した時間が持てるよう、心してこの短い季節を過ごしましょう。

10月2日 薔薇図

Dscn1668 私は時々、薔薇の絵に蘇東坡の詩「四時の春」を書くことがあります。その読み下し文を書いてみます。

「花落ち花開き間断なし。春来たり春去るもあい関せず。牡丹は最も貴きも、ただ春晩のみ。芍薬は繁といえども、ただ夏初。ひとりこの花開きて厭かず。一年長く占む四時の春。」

まさに薔薇は四時の春です。その美しさは四季を通して楽しめます。昔から多くの画家たちがテーマにしてきた理由は、こんなところにもあると思います。

10月1日 薔薇図

Dscn1667 (パソコンが故障してしまいました。修理に5日間かかりましたので、その間書き溜めていたものを、今夜は頑張って入れることにします。)

10月に入りました。木々の葉が落ち始め、風の音もどことなく寂しく聞こえてきます。この季節は、初夏の薔薇と違い、赤い薔薇が似合うように思います。ホッと暖かい気分になりたいからでしょうか・・・。

でも、私はこのところ「桃色」に凝っていて、今日もombakで桃色の薔薇とワックスフラワーを買ってきました。赤絵の壷に生けて眺めていますが、言葉では表現できない不思議な色合いです。絵にしきれるかどうか・・・意欲がわいてきます。

2007年10月 1日 (月)

9月30日 赤薔薇図

Dscn1659 ー花は天からの贈りものー

花はどんなに綺麗に咲いても、決して自身の姿を見ることはできません。人々に喜びを与えるためだけに存在しています。人々はその花を眺め、話しかけ、癒され救われています。神様が、唯一“この世で穢れのないもの”として与えてくださったのが「花」です。想像してください・・・もし、この世に花がなかったら、どんな世界になったかを・・・。

今は連日、薔薇の絵の制作に取り組んでいます。この限りなく美しい存在を、いつまでも描き続けたいという思いが、日々募っています。

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