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いくつになっても“自由な思考”ができれば、それはきっと素敵なことだと思います。私の愛読する『般若心経』(公方俊良著)の中に、次のようなことが書いてありました。
「われわれが住む地球では、あらゆる物質が固体、液体、気体でなりたっています。その定まった秩序は、すべての人に共通した認識を生じさせます。・・・・・そして誰にも共通したこの認識が“常識”をつくり出します。普通、私たちはこの常識によって生きています。だから、火の玉や幽霊が出てきたり、UFOが飛来したりすると、たちまち仰天してしまって、思考の混乱をきたします。しかし、地球以外の宇宙では、固体、液体、気体のように定まった形成物質は全体の10%くらいで、他の90%は、これらの崩壊した状態、つまり“プラズマ”であるといわれます。そうすると、火の玉も幽霊もUFOも、別に不思議な現象ではなく、日常現象ということになります。・・・中略・・・よくよく考えてみますと、この地球上のとても身近なところに、プラズマに似た脱常識が存在しているのです。それは何かといいますと、人間の思考です。しかし、プラズマのように自由ですばらしい頭脳を持ちながら、人間は何と常識に縛られ、かたくなに生きているのでしょうか。・・・後略・・・」
ここで言うプラズマ的発想で絵を描いていたのが、「芸術は爆発だ!」といった岡本太郎だと著者は続けます。世間から見れば非常識な印象の人で、私も岡本芸術の良さを未だに理解しているとはいえませんが、確かにその思考は自由で、閃きから出る表現の奇抜さは他を圧倒しています。心に余計なものを溜め込まず、まるで少年の持つ夢を自由に描いたような人であったろうと思います。表現者は、常識を放棄できなければ、人に感動を与えられるような作品を創造することができないのでしょうね。
これは私の愛用の写真機です。今では、フィルムの写真機など過去のものとなりました。文明の進むテンポがどんどん速くなります。ピントを合わせる必要もなく、私向きの便利な物ができたと喜んでいたのは、つい最近のような気がしますが・・・。“道具”に対する考え方や接し方が、昔の人と現代人との間には大きな隔たりがあると思います。確実に「愛着の度合いは違うだろうな」と感じます。
わが家でもデジタルカメラを購入したため、この写真機も御用済みとなりました。しかし、昔から子供たちを随分写してきたこの写真機を、簡単にお払い箱にすることができず、今は描いた作品を写す記録用写真機として使っています。私にとってのこの道具は、“カメラ”ではなく、いつまでも“写真機”です。
先日の雨の日、自転車で走り回っているときに、あるお宅の玄関先に咲いていたコスモスが、かつて見たことのないものでした。赤と白が混ざりあったコスモスで、大変珍しく、新種に違いないと思いましたが、先を急いでいたこともあり、引き返すことはしませんでした。
日曜日の朝、夫を誘いスケッチブックを持っていそいそと出かけました。歩くこと20分、目的の家を見つけて、ワクワクしながら塀越しに覗いてみると・・・ナント!コスモスではなく違う花だったのです。残念!
このところ、コスモスの魅力に囚われていたので、想像の世界で自分だけのコスモスを作ってしまいました(笑)。思い込みが強い性格で、こんな錯覚がたまにあるのです(笑)。
あの日・・・一瞬目の端でとらえた“幻想のコスモス”は、それはそれは美しく私の中で広がり、二日間だけでも幸せな気分にしてくれました。。
数年前、蕎麦の花の絵を描いてほしいと依頼されたことがあります。蕎麦を食べるのは大好きですが、花をまじまじと見たのはこのときが初めてでした。枝の先に小さな白い花をびっしりと付けていて、作品にするには中々骨が折れました。その絵は現在、都内の某蕎麦屋さんに飾られています。ところが今回再び描くことになって、久しぶりに蕎麦の花と対面してみると、その可愛らしさに魅了されてしまい、その生命力にも改めて感動しました。
秋蕎麦の時期をちょっと過ぎたので、花が見つかるかどうか心配だったのですが、興津川の上流で小さな蕎麦畑を見つけました。本当に嬉しくて、芭蕉になったつもりでつぶやきました。・・・「蕎麦はまだ 花でもてなす山路かな」・・・
コスモスを見に行こうと思い立ち、朝霧高原へ出かけました。途中、田貫湖に寄って湖畔を散策し、そこから西湖へ向かおうと猪ノ頭を走っていると、「陣馬の滝」という看板が目に入りました。聞いたこともなかったので、なんとなく立ち寄ったのですが、思いの外美しい滝でした。スケールは称名滝とは比べようもありませんが、そこはかとない趣があり、親しみやすさを感じました。
名の由来は、「富士山の麓で巻狩を催した源頼朝が、日が暮れて滝の近くに一夜の陣を敷いた。それから後、その滝を陣馬の滝というようになった。・・・」と説明書きにありました。溶岩層の隙間から湧き出す水ですから、とっても綺麗でとっても美味しい水でした。私は大発見をした気分でしたが、きっと皆さんご存知の場所なのでしょうね。
しかし、あれだけ綺麗に咲いていた朝霧高原のコスモスは、いったいどこへ行ってしまったのでしょう?一本も見つけられませんでした。
民族民芸村では、「民芸館・合掌館・陶芸館・とやま土人形工房」と、時間の許す限り見て回りました。移築された合掌造りや、陶芸館に並べられた国内外の作品など、中々心魅かれるものがある文化の里です。
「とやま土人形工房」では、夫婦人形を買いました。素朴で、その土地の匂いがする土人形が好きで、今まで集めたものがアトリエに並んでいます。富山でも「天神様」や「抱き雛」など、江戸時代から伝統的な土人形が作られていたそうですが、後継者が途絶えて、今では市民から受講者を募りながら、伝統技法を後世に伝えようと努力されているそうです。
ここに描いた「夫婦人形」は、民間信仰から生まれた「お便所の神様」だそうです。帰宅すると、私もさっそくお手洗いにこの人形を飾りました。この顔を見ると、ついつい笑顔になります。
大和百貨店でのサイン会は午後2時からなので、朝食後、ホテル近くの諏訪神社に参拝してから、予定していた「富山市民族民芸村」へ向かいました。
あいにくの雨だったのでタクシーに乗り、運転手さんに行き先を告げると、「民芸村に行くなら、長慶寺の五百羅漢を見学したほうがいいよ。」とのお勧めがあり、それならと「長慶寺」から廻ることにしました。その寺は、晴れた日には立山を望めるという小高い場所にありました。今日描いた「賓頭盧(びんずる)尊者」の石像は、沢山並んでいる羅漢像の中でも特別の場所に置かれていて、説明書きの立て札も特別に添えられていました。
その説明書きには・・・「お釈迦様が在世のころ、特別の神通力の持ち主であった賓頭盧尊者が、その神通力を世の人々に自由自在に誇示して見せたので、お釈迦様がお怒りになって、『お前は究極の悟りを得ず、この世にとどまって仏法を守り、人間の病を癒し、多くの衆生を救いなさい』と命令された。尊者はお釈迦様の言葉を守り、今に至っても人々を救う菩薩である。」・・・とありました。わが国では、今も多くのお寺に尊者の像があり、病を治す「なでぼとけ」としての“びんずる信仰”があるそうです。
雨の中で、傘をさしながらのスケッチでしたが、尊者の“神通力”の端っこでもいただけるように、心をこめて描きました。
昨日描いた絵だけでは、称名滝を収めきれませんでした。なにしろ、前長350mの滝ですから・・・。いつか大きな紙で挑戦してみようと思っています。
これは清水に帰ってから友人に聞いた話ですが、気象の変化が激しいので、滝の上部を雲が隠したり、霧が出たりと、この滝の全体像を清々と眺めることは、中々できないのだそうです。何も知らないで行った私ですが、運がよかったとしか言いようがありません。
滝のスケールにも驚きましたが、もうひとつ感動したことは、この水の透明度の高さです。空の青が写っているわけではないのに、深いところは勿論、浅瀬でも美しい青色なのです。こんなきれいな水はかつて見たことがありません。さすが、神々の住まう立山連峰の雪解け水だと感心しました。
称名滝に到着したのが、既に夕刻近くになっていました。バスの最終便まで1時間。「山道30分」と表示されていたので、単純に計算すると往復するだけで終わりです。そこで、意を決して早足で歩き、時間を半分に短縮しました。少々くたびれましたが、落差350m日本一の壮大な姿を、滝見台から存分に鑑賞することができました。
「称名」の名は、法然上人が立山登山をした折、滝の音が「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」と称名念仏の声のように聞こえたところから、「称名滝」と名付けられたということです。この由来については、後に調べて知ったわけですが、私も滝を見た瞬間に思わず合掌してしまいましたから、法然ならずとも、私のような俗人にさえ、この滝には何か訴えかけるエネルギーがあるのでしょうね。胸に迫り来るものを感じました。
富山駅に着いてすぐ、計画どおり電鉄富山に乗り、終点の立山まで行きました。立山連峰をスケッチしようと楽しみにしていたのですが、ロープウェイがとても混んでいて叶いませんでした。それならばと、予定を変えて「称名滝」に向かうバスに乗りました。
窓外の景色を眺めていたら、称名川に沿って切り立った断崖が現れ、その異様な景色に圧倒されました。すぐに車内に「右手に見えるのが、アクシロの壁です・・・」とアナウンスがあり、私は寡聞にして知らなかったけれど、有名な岩壁だったんだと認識しました。後で観光案内版を読んでみると、「高さ500m、延長2キロメートルの一枚岩盤で日本一を誇る。」とありました。「アクシロ」と聞いたとき、どんな漢字を当てるのか想像できませんでしたが、答えは「悪城」でした。これは、“人を全く寄せ付けない”という意味があるそうですが、まさに、さもありなん!と思わせる姿でした。