« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »
清少納言は、『枕草子』の中で、「夕顔」について次のように書いてあります。
「・・・夕顔は、花のかたちも朝顔に似て、いひつづけたるに、いとをかしかりぬべき花の姿に、実のありさまこそ、いとくちをしけれ。などさはた生ひ出でけん。ぬかづきなどいふもののやうにだにあれかし。されど、なほ夕顔といふ名ばかりはをかし。」・・・ようするに、「夕顔の花はそれなりに美しいのに、その実は大きくてなんと不恰好なんだろう!せめてほうずきくらいのおおきさだったらいいのに。」ってことでしょう。
私は昔から夕顔が好きで、屏風の大きな作品にも仕上げたりしています。しかし、私が観察し、スケッチした夕顔は優美で美しく、その実も可愛らしく、清少納言のいう夕顔の姿とはかけ離れています。疑問に思いながらも「きっと千年の間に品種改良されたんだな。そうに違いない!」と思い込んでいました。最近、ふと思い立って調べてみれば、ナッナント!「夕顔」と呼ばれるものは2種類あって、私の描いていた夕顔は「夜顔(ヨルガオ)」といって、アフリカ原産のヒルガオ科植物だということが解りました。本物の夕顔はウリ科で、花の形も歴然と異なり、その実はまさに清少納言さんがおっしゃる通り、“大きく不恰好”で干瓢を作る実でした。
こんなことは、きっと世の人たちは常識としてみんな知っているのでしょうが、そそっかしく早合点の私は、上記のように思い込んでいたわけです。何でも疑問に思ったら、必ず調べなければいけませんね。でも・・・ちょっと言い訳をすると・・・「このヨルガオも、普通ユウガオと呼ばれる。」と書いてありました。(笑)
これは、友人のモッちゃんの手作り梅干です。白く塩をふいていて、作ってから数年経ったような古典的?な見かけですが、今年の作品です。見るからにしょっぱそうですが、これがとても美味い!モッちゃんは、夏の外出時に一つぶ口に入れて出かけるそうです。それが夏バテ防止に有効だと言っていました。
東城百合子さんの著書『自然療法』の中に、梅干について次のような記述があります。「梅の実には、クエン酸が多くアミダリンといってガンによいとさわがれるビタミンB17を多くもっています。毒消しや殺菌力がつよく、細胞に活力を与え、カルシウムの吸収を助け、腸の有効菌を育てる。血液浄化をして疲労回復をする大切なものです。」・・・どうです、良いことばかりじゃありませんか!
まだまだ続く残暑!うんざりしますが、梅干で乗り切りましょう。
この手水鉢は、直径48cmのかなり大きな物です。古い物に興味を覚え始めた若かりし頃、入江町の骨董屋さんで見つけたものです。長い間お店に置かれていたようで、鉢の中には色々なものが入れられ、勿論埃まみれで、このきれいな呉須の絵付けなど全く見えない状態でした。その埃を手でこすってみると、なんと、色鮮やかな染付けが現れたではありませんか!すぐにいただく決心をし、重さもどこへやら、抱えて家まで持ち帰りました。そして、今でも飽きることなく、こうして時々描いては大切にしています。
手水鉢と言うと、直径30cm前後の物が普通でしょうが、このように大きく、そして鉢全体にギッシリと絵付けされた物は、「きっとお大尽の家にあった物に違いない・・」などと想像しながらながめています。骨董の楽しみの一つですね。
幼い頃からの私の夢は“お習字の先生”になることでした。暇さえあれば墨を磨っているような子供でしたから、長じて進路を考える高校生になったときも、迷うことなく書道の勉強が続けられる大学を選ぶことにしました。長年習字を教わっていた丸山春翠先生から、その頃大東文化大学で教鞭をとっていらした書家「安藤搨石(とうせき)」の存在を知り、進む先を決めました。
入学すると何のためらいも無く師の門をたたき、すぐに門下生にしていただきました。他の教授陣と違い、師の門下生になるためには、たった一枚の臨書を持参するだけです。教えようとするのではなく、若い私たちをも“美を追求する一つの人格”として認めてくださる師の姿に、私は生まれて初めて本物の芸術家に会えた思いがしました。
お稽古というものは無く、月に一度、師を慕う学生たちが井の頭線の西永福の先生宅に集まり、熱き想いを語り合い、そして師の芸術論を聴くという会でした。持参するものは、いつも臨書一枚です。そんな中に、「芸術家の卵です」という生意気な顔をした私も居ました。
搨石先生といえば、いつもそばにウイスキーとライターがありました。常にタバコを挟んだ指は、ヤニで茶色だったのを覚えています。そして、いつもオレンジカルピスを出してくださった奥様は、八千草薫似の品の良い方でした。
先生は、私が卒業してわずか二年後に他界されました。享年49歳、早過ぎる死でした。
「かあちゃんが届けろと言うので、持ってきました!」と、おどけながら美代子さんのご主人が立派な朝顔の鉢を届けてくださいました。
夏になると家々の軒下で朝顔を育てて楽しむ・・・。このどこにもあった光景が、近頃はあまり見られなくなったように思うのは私だけでしょうか。毎夏、数点の朝顔の絵を描きますが、この夏はここまでさっぱり朝顔と縁が無く、「こんな事もあるものだな~」と思っていた矢先でしたので、あまりに嬉しくて「ヒャ~」と悲鳴をあげてしまいました。ご主人が種から育てた綺麗な桃色の朝顔です。体感温度は高くても、心に涼しさを感じました。
夏のうだるような暑さを和らげるのがエアコンだけだなんて、全く情緒がありませんものね。・・・打ち水や簾や、そして朝顔や・・・。
1988年8月、9回目の個展で初めて色を使い、岩絵具で赤薔薇を描きました。それは、とても新鮮で自然な成り行きだったように思います。
南画を10年、自分流墨画を10年、殆ど色の無い世界を描いてきましたが、この時期は梅原龍三郎の豊かな色彩に感動し、中川一政の独特な岩絵具の使い方に感動し、そうした思いが細胞に蓄積されて、許容量を超えたとき、自然に色を使っていました。しかし、日本画を習ったわけではないので、何度も失敗を重ねながら、まさに“暗中模索”・・・描くたびに新たな発見があり、本当に苦しくも楽しい時期でした。
勿論、今も「これでよし!」ということはありませんから、描き続けていけるのでしょうし、この後どのように変わってくるのか、我が事ながら楽しみにもしています。
私は30歳で初めての個展を開きました。「自分の描きたいように描こう」と先生の元を離れたものの、自分の絵を創り出すことが、これほどまでに厳しいものかと身にしみつつ、それでも「絵なんて一人で生み出せる」と強がりを言って、毎日格闘していました。
その頃“ルオー”にとても魅了されていて、特に『ミゼレーレ』のモノクロの銅版画の力強い線に、墨絵に共通するものを強く感じていました。ですから、その頃の私の絵は現在の絵とはまるで違い、あえて言えば・・・“真っ黒”な絵でした。比較するのもおこがましいですが、ルオーも自伝の中で、制作上の悩みを抱えていた時、人々に“トンネルの中の絵”と評されていたそうです。
私の初個展で飾った殆どの絵は、ルオー抜きには出来上がらなかったでしょう。勿論、物を生み出すには独創性は不可欠ですが、何のことはない必ず誰かの影響を受け、直接的ではなくても「師」が必ず居るのです。「絵なんて一人で生み出せる」と、いきがっていたいたその頃の私を、今は可愛く思います。
玉枝さん・・・懐かしいお友達と久しぶりにお話しをしました。絵の修行時代の友人です。飯田満佐子先生の画塾でがむしゃらに取り組んでいた頃の友人です。その頃の先生は今の私くらいの年齢でしたが、女流の正統派南画家としては第一人者であったと思います。沢山のお弟子がいましたが、おっちょこちょいのキャラクターが気に入っていたのか、大学の後輩でもあった私をよく可愛がってくださいました。しかし、稽古の際は厳しい先生で、きつい言葉で何度も叱られました。そんな日は、帰りに玉枝さんと六本木のラーメン屋さんに寄り、励まし合ったものです。
「のりちゃん、私の分まで頑張って!」と、すでに絵を描くことから遠ざかった友人は言います。振り返ると・・・先生の元を飛び出してからも様々なことがありました。遠回りになりましたが、一人でここまで来た道程を振り返ると、なかなか頑張ったな~と思ったりします。
今日は終戦記念日です。勿論、私は戦後生まれですが、それでも幼い頃には大人の話しや生活の中に戦争の残り香がありました。その後、豊かさと引き換えに、この国を守ってくれた多くの命への感謝や、日本人としてのプライドを忘れてしまったような気がします。価値観が覆り、国のあり方を見失ってしまったんですね。全く悲しいことです。この日を迎える度に、年々この思いが強くなってきます。
さて、連日の猛暑、「スッゴ~イ」の一言ですね。館林では40.2℃!こうなると“炎暑”というそうです。しかし、今日の静岡新聞お天気欄によると、あと少しで峠を越えるそうですから、辛抱・・辛抱です。私の暑さ対策を披露すると、ただ“居直る”ことです。「暑さよ来い!汗よ出ろ!」と居直ることです。とくに、この心経を書いていると血の巡りが良くなるらしく、シャツが重くなるほど汗を掻きます。濡れ手拭でハチマキをし、棟方志功になったつもりで集中すれば、暑さを忘れて作品にも気合が入ります。・・マネヲシナイデクダサイ・・
買い物帰り「玉泉寺」に立ち寄り、汗をかきかき一番高い所まで登り富士を望むと、竜爪山からぐるりと伊豆半島まで白雲が湧きあがっていました。空の青、海の青、そして光に包まれた清水を一望し、スケッチブックにおさめてきました。
360度、どこから眺めようと絵になるのが富士山です。イデア界の山があるとしたら、それは紛れもなく富士山でしょう。比類の無い美しさです。それだけに、紙におさめるには中々難しい対象です。
昔、画家仲間に「まだ富士を描くのは早い」と言われたことがありました。何をいつ描こうとも自由で、遅いも早いも無いでしょうと、その時は思いましたが、きっとその方は、「修行を積まないと気迫負けするぞ!」と言いたかったのでしょう。今ではそれも解ります。なぜなら、いまだ正面から対決できないからです。
お盆で何かと忙しい毎日です。今日は、午後になってやっと自分の時間ができたので、制作途中の「青薔薇」の仕上げにとりかかりました。初めて岩絵具を使って描いたのが薔薇の絵だったせいか、薔薇は私の生涯のテーマであるような気がしています。
『気まぐれ美術館』の著者の洲ノ内徹は、日本での“薔薇の画家”として、梅原龍三郎・安井曽太郎・松田正平の三人を挙げています。全く異論はありませんが、できればもう一人、中川一政を入れてほしいなと個人的には思ったりします。古今東西、多くの画家が薔薇の絵を描いていますから、きっと人によってそれぞれ「私はこの人の薔薇が好き」というのがあるのでしょうね。
そして私の夢は・・・80歳くらいになった時に描く自分の薔薇が、皆さんの印象にとまるようなものになればいいな・・・ということなのです。
小田原の知人からのご依頼で初めて描いた「十三仏」は、大変喜んでいただくことができホッと安堵しました。そして、これを契機に十三仏を調べてみようと思い立ち、このブログに一日一枚描くノルマを課し、今日やっと描き終えました。おかげで仏画にも興味が湧き、色々な仏様の事も深く理解でき、とても良い機会を与えられたと感謝しています。
さて、しんがりは三十三回忌担当の導師「虚空蔵菩薩」です。知恵と福徳の仏様ですが、不思議な力によって窮地に陥った者を救う菩薩ですから、最も密教的な雰囲気を持っていると感じます。虚空(宇宙)に無限に内蔵されている知恵と福徳を、人々のために蔵から自在に取り出して救済する訳ですから、十三仏の最後を飾るに相応しい仏様です。
また、特に“種々の芸道・技芸の上達”を欲する者の守り本尊である事を知り、大変嬉しく思いました。「技芸に長じさせたまえ」と祈りながら、このシリーズを終えます。
「心頭滅却すれば、火もまた涼し」といいますが、ついつい口から出る言葉は「暑い暑い・・・」です。修行が足りません。そんな中、今回の大掃除の締めくくりとして、伸び放題の木々の散髪をしました。勿論、日が翳ってからです(笑)。
さて、描きはじめた十三仏も残すところ二人となりました。今日は十三回忌担当の「大日如来」、天地宇宙の中心仏です。夜も昼もあまねく光を放ち、すべての者を照らしてくださる“大いなる日輪の如来”です。宇宙の絶対的な王者ですから、シンプルな姿の他の如来とは異なり、菩薩よりもさらに煌びやかです。
“智拳印”という印を結んでいます。そういえば、昔見た時代劇で、忍者が姿を消したり変身したりするときにこの印を結んでいましたね。私も時々ドロ~ンと変身したくなります。
7月29日より、十三仏を順番に描かせていただいていますが、慌しい毎日の中でも何となく心が安らかでいられる事と繋がっているのでしょうか。蝉の声も、物売りの声も、みんな穏やかに聞こえてきます。
さて今日は、三回忌の導師「阿弥陀如来」です。言わずと知れた西方極楽浄土の教主様です。「ナムアミダブツ(阿弥陀仏に帰依します)と唱えれば極楽浄土に往生できる」と、説いたのは“法然”でしたね。「人間の力など知れたものだから、仏様におすがりしなさい」という他力本願を説き、それまでの仏教と異なり平易なものとしたため、民衆に広く受け入れられました。ここからが、日本の宗教改革ですね!親鸞・一遍・日蓮・道元・栄西など、仏教界のスーパースターが綺羅星のごとく登場します。日本仏教の始まりですね!
しかし、考えてみると、新しい宗教が生まれ人々がそれを強く求める時代とは、決して“幸せな時代”とは言えませんね。今の世界の情勢をみても・・・宗教を考える時、いつもこの矛盾につきあたります。
不思議なもので、予定していた所の掃除をやり終えると他の場所が気になり始め、とうとう4日目に突入してしまいました!アトリエに座る時間も無く相当ウンザリしていますが、朝から箪笥を二階まで運んだり・・・力と汗を出し切って、ちょっぴり快感になってきた気もします(笑)。
今日は十三仏の中でも最も地味な印象の「勢至菩薩」、一周忌の導師です。仏像としても単独で祀られることが殆ど無いので、私たちにも馴染みが薄いのでしょう。昨日登場した観世音菩薩と共に、阿弥陀様の脇侍で「阿弥陀三尊像」として祀られます。文殊菩薩と共に“智恵”の仏様でもあります。
さて、連日体を動かしているのに、お決まりの筋肉痛が出てきません。ムム・・毎日仏様を描いているご利益で若返ったのかな!?
春先からずっと、家中の片付けをしたいと思っていましたが、仕事も忙しく中々実行できずにいました。しかし、どういう風の吹き回しか、夫が積極的に協力を申し出てくれたので、この機を逃してなるものかと、この3日間大掃除に明け暮れました。疲れて体が重くなりましたが、要らない物の始末や隠れた埃などを取り払ったので、家は相当軽くなりました。でも、物を棄てるということに、これほどエネルギーが要るとは考えもしませんでした。
さて今日は、百か日担当の導師「観世音菩薩」です。「観自在菩薩」とも言って般若心経の最初に登場しますね。“観世音”とは、「世俗の人々の悩める声(音)を観じ、救いの手を差しのべる」という意味です。あらゆる人を救い、あらゆる願いを叶える仏様ですから、必然的に現世利益的な信仰が強くなり、超人的な姿(変化観音:例えば十一面観音や千手観音)として現れるのでしょう。そうした変化観音と区別するために、聖観音とも呼ばれます。
夜空には、清水の港祭の花火が上がり、その音だけを楽しみながら心経を描きました。
本日は、東方浄瑠璃世界の教主「薬師如来」です。七七日(なななのか)担当の導師です。薬壷を左手に持ち、人々の健康を守り病を癒すありがたい仏様ですから、今日まで広く信仰されているんですね。
以前、芝川にあるアイスクリームがとっても美味しいお店に立ち寄った折、一人のお客さんから「今日は大嵐町の薬師様の、33年ぶりのご開帳だよ」と聞き、帰りに寄ってみました。田舎のことではあるし、あまり期待はしていませんでしたが、山の上の小さなお御堂の中には、木彫の素晴らしいお姿の薬師如来立像がありました。33年ぶりということで、小さな集落の人々は総動員の様子でした。ここの薬師様は、特に目の病を治してくださるということでしたので、「良い絵が描ける目をお与えください!」とお願いしました。
6日目の今日は、六七日(むなのか)担当の弥勒菩薩です。昨日も書きましたが、弥勒菩薩は56億7千万年後という気の遠くなるような未来に現れる仏様です。ですから他の仏様と違い、ゆったりと足を組み、物思いにふける広隆寺の弥勒様のような半跏思惟の姿で表現されることが多いのでしょうか。
広隆寺の弥勒菩薩といえば、常に対比されるのが中宮寺の弥勒菩薩(最近では、如意輪観音といわれているようですが・・・?)ですね。中学の時の美術の時間に先生が二枚の写真を示し、「どっちが好きだ?」と、真剣な目で生徒たちに質問したのを思い出します。私はその質問に戸惑ったことを憶えていますが・・・将来絵描きになるなどと思ってもいなかったその頃の私に同情します。
十三仏の中でも、日本の風景にまで溶け込んでいるものといえば「お地蔵様」でしょう。五七日(いつなのか)担当の導師です。その役割は、釈迦が入滅してから弥勒菩薩が表われるまでの56億7千万年の間、六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天)をさまよう人々を救う菩薩です。
しかし、何と言っても日本人が一番身近に感じてきたのが地蔵菩薩です。誰もが、赤いよだれ掛けのようなものを付けた丸坊主の石仏を、野や山や道端で一度は目にしたはずです。その雲水のようなお姿が親しみやすいためか庶民信仰の対象となり、例えば「とげぬき地蔵」や「子安地蔵」、「身代わり地蔵」や「水子地蔵」等々、今でも大層な人気者です。
そういえば、子供が小学生の時の教科書に感動的な『かさ地蔵』のお話しが載っていましたね。お地蔵様には子供に関わるお話が多いのも、“仏教の何たるかも解らない子供でさえ救ってくださる”からでしょうか、お名前の通り“大地のぬくもり”を感じます。