2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« 2007年6月 | トップページ | 2007年8月 »

2007年7月31日 (火)

7月30日 釈迦如来図

Dscn1447 今日は、十三仏の二七日(ふたなぬか)担当で、道理を示し不安を除く「釈迦如来」です。

お釈迦様は言わずと知れた仏教の開祖で、今から2500年前に、菩提樹の下で一切の迷いを離れて悟りを開かれました。その思想の中心は「慈悲」です。この慈悲の心を“生きとし生けるもの全てに施す”という愛の普遍的な考えがあったればこそ、仏教は民族宗教にとどまることなく世界宗教になりえたのだと思います。

お釈迦様の知恵の言葉を、弟子たちが多くの経典としてまとめましたが、さらにその言葉の中から262文字にまとめられたものが『般若心経』だと聞いています。「釈迦の多くの教えを、ちょうど蜂蜜にたとえると、般若心経はローヤルゼリーのようなものだ。」と、何かに書かれていたのを思い出しました。エキスなのですね。その有難い言葉を毎日写経させていただいている事に感謝します。

さて、今日のお釈迦様の絵は全く満足できませんが、「描き直さないで進む!」と決めて始めたものなので、初志を貫こうと思います。私の絵の修行は、これから・・これから・・ボチボチです。

2007年7月30日 (月)

7月29日 不動明王図

Dscn1446 仏教の世界では、亡くなった人に対し、49日目に極楽行きか地獄行きかの判定が出ると考えます。無事極楽行きが決まっても、仏の世界で一人前になるには33年の長い年月がかかります。そこで、一人前の仏に導くための導師が登場します。それが十三仏です。

そして十三仏は、初七日から三十三回忌までの13回の法要でそれぞれ担当が決まっています。今日はその内の初七日担当の『不動明王』を描きました。お不動様は、右手の剣で亡者の未練を断ち切り、左手の絹索で導くそうです。

2007年7月29日 (日)

7月28日 ピーマン図

Dscn1445 スミちゃんちの菜園ピーマンです。りっぱにりっぱに育ったピーマンは、アトリエの毛氈の上に置いてながめると、すごい存在感!まるでオブジェです。(大きさを知ってもらおうと思い、マッチ棒を描きました)

このピーマンの迫力に負けてなるものか!と頑張ったので、昨日と違い今日は元気に描けました。

「目は口ほどにものを言う」といいますが、私の場合は「線は口ほどにものを言う」です。本当にその時の気持ちが線に表れます。心が弱っている時は、それなりに・・・。活力が漲っている時は、それなりに・・・。穏やかな時は・・・わだかまっている時は・・・。まさに、筆を持つと体と筆とが一体になって、筆先まで血液が流れます。だから、たとえ隠そうとしても、線には正直に心が表れてしまう訳です。「心を無にする」・・・とても難しいことです。

2007年7月28日 (土)

7月27日 スイカ図

Dscn1444 昨日は、スイカと一緒に葉のついた蔓もいただいたので、切ったスイカと並べて描きました。でも、ご覧の通り気の抜けた絵になってしまいました。なぜならば・・・昨年から頼まれていた「十三仏画」がようやく完成し、いつも心の片隅にわだかまっていたものがようやく無くなり、ホッとしたからです。

たってのご依頼にお引き受けしたのは良いけれど、私も勉強不足で「十三仏信仰」についての知識が殆ど無く、まず、この信仰について調べるところから取りかかりました。今回この機会を与えられたことで、十三仏はおろか仏画さえ描いた事のない私にとって、本当に意義のある勉強をさせていただき、頼んでくださった方に感謝いたしました。過去にも幾度か似たような経験があり、その度に少しずつ成長してきた気がしています。『セロ弾きのゴーシュ』のような心境ですね(笑)。

今後、このブログでも十三仏のお話しや絵を紹介していこうと思っています。

2007年7月27日 (金)

7月26日 西瓜図

Dscn1443 制作していると、美代子さんがご主人と一緒に西瓜を届けてくださいました。いただく前に心経におさまってもらい、それからすぐに冷やして夕飯のデザートにしました。瑞々しくて、とても美味しかった!やっぱり夏はスイカです!

子供の頃の私はお転婆だったので、大好物の西瓜を食べる時も辺り構わず汁を飛び散らしたらしく、そのためか、母が私に西瓜を食べさせてくれる時はいつもスノコのお風呂場でした。半分に切った西瓜とスプーンを持たせ「ゆっくり、思い切って食べなさい」と言ったものでした。ですから私は長い間、「西瓜とは、お風呂場で食べるもの!」と思い込んでおり、そのことを夫に話すと大笑いされました。

2007年7月26日 (木)

7月25日 日本平花火図

Dscn1442 我が家の屋根の上は、“日本平花火大会”見物の絶好のスポットです。

この花火の時期になると、「今年も日本の夏が来たな~」と実感します。家族五人がこの屋根に一列に並んで、西瓜を食べながら見物するのが恒例でした。子供たちが成長するにつれて、ある年は4人、ある年は3人と、全員揃うことは稀になりましたが、それでも今年のように夫と二人きりになることはありませんでした。二人でボソボソと昔語りをしながらの見物も、それはそれで乙なものですが、やはり賑やかなほうがいいですね!

もう少し時が経てば、今度は孫とかが現れてきっと賑やかになるのでしょう。築30余年の我が家ですから、それまでに丈夫な屋根に直しておきましょう。

2007年7月25日 (水)

7月24日 オシロイ花図

Dscn1441 3時の予約で歯医者さんへ行ってきました。一度治療した所が隠れ虫歯になっており、写真を見るとかなり進行していました。痛みが無かったのが不思議なくらいです。

無事治療も終わり、清々しい気分で自転車をこいでいると、新幹線の橋桁の下にオシロイ花を見つけました。今を盛りと鮮やかに咲いていたので一枝いただき、さっそく近藤精宏作の粉引皿に載せて描いていると、花の中に隠れていた蟻が二匹現れました。

7月23日 三十三間堂の木図

Dscn1440 この木は三十三間堂から庭を隔てた池のそばにあり、丸い葉がとても印象的だったのでスケッチをしてきました。帰宅してから、図鑑で調べたり、インターネットをのぞいたり・・・しかし、どうしても正体が解りません。沙羅双樹かな?菩提樹かな?どちらも似ているがちょっと違う。気持ちが悪い!清々しない!思い余って友人に電話すると、『日本の樹木』という本をわざわざ届けてくれました。最初からページをめくり格闘する事1時間あまり・・・。見つけました!その名は「白雲木」!丸い葉といい、可愛い実といい、間違いありません。

さてさて、この白雲木は、釈迦涅槃の床の辺にあったという沙羅双樹が、日本の風土では育たないため、その代わりとして寺院に植えられるようになった木だそうです。そういえばあの時、「この木は何という木ですか?」と、お寺で働く方に尋ねましたが、「わかりません」と、にべも無い答えでした。

「仏教と深い所縁の木なのに何故知らないの・・・」と、時間をとられた分だけちょっぴり不満でしたが、調べている間は何となく楽しい時間でもありました。

2007年7月24日 (火)

7月22日 おせんべい図

Dscn1439 今朝は二条大橋から望む鴨川を写生した後、三十三間堂へ向かいました。最初にここを訪れたのは20年以上も前です。時間が無い中での今回の京都訪問でしたが、千手観音様に会えて心の洗濯ができました。とても幸せでした。

今日の会場-名古屋高島屋に到着したのが、約束の時刻の5分前で、すでにお客様が待っていてくださり・・・なんと!このお客様の名前が青木典子さん!。観音様のお引き合わせかと吃驚しながら、すぐに墨を磨りました。あっという間の2時間でしたが、様々な人が訪ねてくださり、とても意義深いものでした。

図のお煎餅は名古屋でいただいたものですが、とても可愛らしく、すぐに食べてしまうのが勿体なかったので、ここに描かせてもらいました。

2007年7月22日 (日)

7月21日 香雪軒の筆図

Dscn1438 昼前に京都に到着し、サイン会が始まるまで時間があったので、平安神宮で参拝してから高島屋に向かいました。会場では私を待っていてくださった方々とお会いでき、一期一会の心を持ってお話させていただきました。

終了後、ホテルまでの道すがら、二条河原町の辺りで「香雪軒」という筆屋さんを見つけ、中を覗いてみると、なんと・・・中村不折の書、谷崎潤一郎の書簡、富岡鉄斎の書、武者小路実篤の油絵と店の名前「香雪軒」の書・・・さすが千年の古都です。私のような田舎者は寡聞にして知りませんでしたが、きっと知る人ぞ知る有名な筆屋さんだったのでしょう。店主とお話しをさせていただく中で、「実篤がこの書を書いた時、父親が横で墨を磨りました」などという逸話も聞くことができ、私のアトリエに飾ってある実篤の『冬瓜』も、今まで以上に身近に感じられるかな・・・などと思いました。

記念に小筆二本を購入し、ほのぼのとした気持ちで鴨川の土手を散歩しながらホテルに向かいました。

7月20日 蝶文鉢図

Dscn1437 21日は京都、22日は名古屋・・・いずれもタカシマヤのサイン会です。

頑張ってきます。

2007年7月20日 (金)

7月19日 サンパの立看板図

Dscn1436 植草甚一のような散歩の達人ではありませんが、私も散歩の途中で時々“ちょっとした嬉しい事”に出会います。

私の家から歩いて2~3分のところに、洋服と生活雑貨を扱うお店『Sympa』があります。その店の前には看板が立てられており、そのボードには、天候の事、最近の出来事、そして様々な思いなど・・・短い詩のような文章が書かれています。散歩で通る折には必ず立ち止まって読み、ウ~ムとうなったり、夫と顔を見合わせニンマリしたり、楽しませてもらっています。きっと私と同じような人が何人もいて、その人たちに“ちょっとした嬉しさ”を与えているのです。これも功徳ですね。そして・・・なにより作者が-若者-というところが、もっと嬉しいじゃありませんか!

2007年7月19日 (木)

7月18日 ハイビスカス図

Dscn1435 友人の浩子さんが、「お母さんに供えて」と、再びお皿いっぱいのハイビスカスを持って来て下さいました。さっそく母の遺影の前に飾り手を合わせました。大好きだった花をながめて、きっと喜んでいることでしょう。

それにしてもこの花の赤は見事な赤で、まさに“情熱の花”です。以前(6月11日)、「母のイメージと乖離している」と書きましたが、その後読んだゲーテの『色彩論』の中に「赤は真剣さと威厳、慈悲と優美さの印象を持つ」とあったので、成る程これならば、いつも真剣に生き慈悲深かった母と、真っ赤なハイビスカスが、やっと繋がったと得心しました。

2007年7月18日 (水)

7月17日 桔梗文蓋物図

Dscn1434 買い物へ行く途中、清々しく咲いていた桔梗を見て、今日はこの蓋物を描きました。

さて、昨日のポジャギ図で、“女性たちが小布をつなぐ思い”について書きましたが、この般若心経も“人と人をつなぐ、命をつなぐ”という願いを込めて描いています(2月20日赤薔薇図)。この「つなぐ」行為は最も大切な事だと思います。なぜなら、全てのことは「つなぐ」ことで存在しているからです。生命もつなぎ、文化もつなぎ、技術もつなぎ、思いもつなぎ・・・。無事につながれたものだけが、今、存在しています。そう考えると、今在る自分に強く責任を感じます。

2007年7月17日 (火)

7月16日 ポジャギ図

Dscn1433 この布は「ポジャギ」といって、朝鮮半島で凡そ600年前から作られ始め、今日まで続いている、謂わば“風呂敷・袱紗”などの役割を持った布です。私は以前、東京の骨董屋さんで古いポジャギを見て、とても感動した事を覚えています。儒教の国の女性たちが、「小布をつなぐ事が福をもたらし、長寿を招く」と信じて、針を運んで縫い上げたものです。

私は『李朝』の美術が大好きで、特に民画を見ると心が震えます。生活に繋がった民画は、稚拙ではあるけれどあたたかくユーモアがあり、絵画の原点を見るような気がします。その点でいえば、わが国の大津絵との共通点も窺えます。“李朝の民画”そして“大津絵”・・・私の目指すものが、そこにあるような気がします。

2007年7月16日 (月)

7月15日 天にいった般若心経図

Dscn1432 この夫婦鯉図は、母が生前自分の部屋に掛けていたものです。平成17年に描いた物の中から、「最愛の父ちゃんのそばに、いつも一緒に居られるように」との想いで、自分で選び毎日眺めていた物です。

母は本当に父を愛しており、父の世話をするのが好きな世話女房でした。あの世への旅装束で棺におさまっていた母の懐の中に、「これをお守りにして、無事に父の元へ行って下さい」と、祈りを込めて忍ばせました。

2007年7月15日 (日)

7月14日 母のワンピース図

Dscn1431 先日、居間でうたた寝をしていると、このワンピースを着た母が玄関から入ってきて、私の横に座った夢を見ました。母が若い頃から着ていたお気に入りのワンピースです。

母が亡くなってから、今日でちょうど49日目になります。何を見ても、何をしていても母を想い出し、中々この現実を認めることができず今日まで来てしまいました。父と写った写真の中で微笑む母に話しかけ、心の均衡を保って生活することに必死でした。言葉では語りつくせない“悲しみの極み”というものがあることを、実感として知りました。

小言は言いましたが、母から本気で叱られた事はありません。母は私の全てを肯定し受け入れてくれました。私の画業についても最高の理解者で、一番のファンでした。亡くなったその日は5月27日で、ちょうど日本橋高島屋のサイン会でした。帰りの新幹線に飛び乗った時刻が、息をひきとった時刻でした。新幹線から見えた夕陽は、とても優しくて「母のようだなぁ」と思いながら眺めていましたが、今考えると、その時、確かに母が現れたのだと思います。

あまりにも沢山の思い出があり、色々な場面での母の声や仕種や表情を思い出すと涙が溢れますが、この49日を境に心に区切りをつけようと思います。「のり子はホント~に面白い子だよ~!」母は私の明るさが一番好きでしたから・・・。

2007年7月14日 (土)

7月13日 青薔薇図

Dscn1430 アールアンの社長から、抱えきれないほどの青薔薇が届きました。「そっと眺めて英気を養って下さい」との心遣いに、深く感謝しました。

大きな壷に生けて暫く眺めていると不思議な気持ちになり、心が落ち着き、洗われていくのが解りました。“青”の持つ効果でしょうか・・・。とても迫力があるのに静かで気品があり、この世のものでは無いように感じます。私たちは色彩の中で生きており、感情によって色彩を理解しますが、個々の色が何を語ろうとしているかを自然に感じ取っているのでしょう。シュタイナーは、“青”は気を沈め洞察をもたらす「穏やかな心魂の輝き」と表現していますが、よく理解できます。「空の青・・海の青・・」に人は癒されますものね。

さて、この青薔薇は、神部バラ園のオリジナルで、研究に研究を重ねて作ったそうです。アールアンの社長からは、色々あった最近の私の心を慮って「そっと眺めて・・・」と送っていただきましたが、そこはそれ!私も絵描きですから、萎れてしまうまで眺めているわけにもいかず・・・勿論、筆を取りました。

2007年7月13日 (金)

7月12日 アメンボ文鉢図

Dscn1427 ポツポツと葉に落ちる雨音を楽しんでいたら、突然雨脚が強くなり、周囲の物音が全て掻き消されてしまいました。本棚に目を向けると緑の背表紙が目にとまり、手にとって開いてみると、そこには次のような言葉が書かれていました。

「人間を目標に向かわせるパワーは『自分はそれを達成できる』という信念から生まれます。疑いや恐れは、その信念にとって最大の敵です。」-ジェームス・アレン-

ウ~ム・・・と思ったところで雨は小さくなり、再び周りの音が戻ってきました。

2007年7月12日 (木)

7月11日 薔薇図

Dscn1426 今日は一日中雨が降ったり止んだりで、窓を開けると湿気を含んだ風がジワ~ッと家中に広がります。こんなお天気でしたが、気合を入れて朝から薔薇の制作に取りかかりました。湿度が高いと筆のスピードは自ずと遅くなります。乾かなければ次の筆を入れられず時間がかかるわけです。私は和紙を使いますので、特に湿度への対応はデリケートな問題で、若い頃は雨が降ると描くのが億劫になりました。しかし、今では(長年の経験からか)特に気にもならず、下ろした筆の感覚で描き進めることができるようになりました。年をとるのも、すてたものではありません。でもやっぱり・・・カラッと晴れた日の方が私の性に合っています。

2007年7月11日 (水)

7月10日 大鉢図

Dscn1423 久しぶりに薔薇の小品を仕上げました。心経を書いているので毎日筆は持っていますが、制作に取り組むモチベーションは、それとは別のものです。制作から少しの間遠ざかっているだけで感覚が鈍り、取り戻すまでに時間がかかりますし、その度に不安にもなります。

そういえば、ピアノを教えている友人が、「プロのピアニストは、一日8時間練習しないと感覚を保てない。」と言っていたのを思い出しました。どの世界も同じだなと改めて感じながら・・・これから暫く、薔薇の作品を描こうかな~・・・などと考えたりしています。

2007年7月10日 (火)

7月9日 良寛の歌図

Dscn1421 「君が田と我が田とならぶ畔ならぶ 我が田の水を君が田に引く」

この良寛さまの歌は、何事も自分の都合の良いように計らう意味の“我田引水”の逆で、他人の幸せを願うことの大切さを詠ったものです。せちがらい世の中、悪事がはびこり悪行が横行しているのは、我が田にばかり水を引こうとする人間が多すぎるからでしょう。良寛さまの言われるように、我が田の水を周りに分け与えられれば、豊かな人間関係が生まれるのに・・・と思います。

2007年7月 9日 (月)

7月8日 薔薇図

Dscn1420 人は、綺麗な物だけ目にし、耳にして生きられれば、こんな幸せな事はないでしょうが、それは不可能です。色々な事があっての世の中ですから、その中でどのように考え、我が身を処していくかが肝心なのだと思います。良いと思った事が悪かったり、悪いと思った事が良かったりもします。このことについて良寛さまは自らの詩の中で、「・・・是非無定端 得失難予期・・・(よしあしみんな定めなく さきの成否はわからない)」と答えています。そうです・・・先のことをあまり思い煩わないで、日々を大切にしてゆきましょう。

2007年7月 8日 (日)

7月7日 七夕図

Dscn1419 織姫と彦星は、年に一度しか逢うことができないのに、雨が降れば川の水が溢れ、そのたった一度の機会も失ってしまう・・・これは悲しすぎますね。「どうぞ晴れますように!」と願っていましたが、目覚めると雨音が聞こえます。気持ちも晴れず過ごしていましたら、午後になって雲が切れて晴れ間がのぞき、ホッと一安心しました。

七夕の あはぬ心や 雨中天 -芭蕉-

2007年7月 7日 (土)

7月6日 朝顔図

Dscn1418 朝の光を浴びた朝顔は、健康美そのものです。いっぱいに開いた花々は、見る者の心の中まで届き、気持ちを明るくしてくれます。私は夏になると朝顔をよく描くので、これからが楽しみな季節です。

私のように見て楽しむだけの者は、ただ「きれい!」とか「変わってる!」でおしまいですが、「たかが朝顔、されど朝顔」で、この花も大変奥が深く、日本独特の園芸文化の主役なのですね。江戸時代の文化年間以降、今までに何度もブームが起こり、人々が競って新しい品種を生み出し、楽しんだようで、“風流”の代名詞ともいえる花ですね。私にタイムマシンがあれば、粋な浴衣でも着て、其の時代の江戸の下谷・浅草・深川あたりを散歩しながら、大いに朝顔を楽しむのですが・・・。

2007年7月 6日 (金)

7月5日 トマト図

Dscn1417 このトマトは、友人のお母様が、自らの畑の横で日除け傘をさしながら売っているものです。この方は、私の母と同い年の86歳ですがとてもお元気です。ここには、どういう訳か86歳のおばあさんたちが集まってきて、いつも楽しそうにお喋りをしています。私は、このおばあさんたちとお話をするのが大好きで、時々仲間に入れてもらいます。私たち世代の知らないことを沢山教えてくれますし、なにより心が安らぎます。

野菜も作り手の生き方が現れると日頃思っていますが、正直者のおばあさんの手になったこのトマトのように、いつまでも素直に赤く色づいていたいと思いました。

2007年7月 5日 (木)

7月4日 甘海老図

Dscn1416 「強く興味を引かれるものがあって、一生懸命勉強している時は、本屋へ行けば読みたい本が次々に目に飛び込んで来る。逆に、勉強していない時は、悲しいくらい読みたいものが現れない。」・・・と、これは夫からよく聞く話なのですが、作画についても全く同じことが言えます。勉強していない時は、絵の題材が中々見つからず、何を描こうか一苦労します。しかし、何かを真剣に求めている時は、石ころを見ても、欠けた茶碗を見ても、描きたくて堪らなくなります。やはり、“倦みず怠らず励み努める”ことこそ肝要なのでしょう。まさに、この海老のように腰が曲がるまで勉強ですね。

2007年7月 4日 (水)

7月3日 枝豆図

Dscn1415 枝豆が美味しい季節になりました。ビールを飲みながら・・・というのが定番でしょうが、わが家は誰もお酒は飲みません。しかし、枝豆はみんなの好物で、毎日のようにお茶のつまみ?に出ます。

豆類は何でも好きですが、特に“そら豆”の空に向かって伸びている姿を見るといつも感動します。今日の枝豆は勢いがあったので、ついつい元気に描いてしまい、心経の字が小さくなりました。

2007年7月 3日 (火)

7月2日 燕の赤ちゃん図

Dscn1414 この燕の赤ちゃんたちは、“魚とし”の店先に作った巣の中で大きくなっています。夏の初めに、「魚としに家を作ろう!」と決めた燕の夫婦が、せっせと材料を運び込んで立派な巣を完成させました。ほどなくして赤ちゃんが生まれ、今日見てみると大分大きくなって、音がすると巣から身を乗り出しながら顔中を口にして餌を待っています。生きるための逞しい姿です。

そういえば・・・私が子供の頃、父から「燕が巣を作る家には幸福が来るんだよ!」と聞かされた事を思い出しました。

2007年7月 2日 (月)

7月1日 文鎮図

Dscn1413 私にとって、文鎮は必需品です。だからと言って特に集めたわけでもありませんが、旅の折や町で見かけた折に手に入れたものが、長い間にこうして集まってしまいました。日頃使っている物をあらためて並べてみると、不思議と調和が取れていて楽しそうに見えてきます。中でもお気に入りがあって、一つは取っ手が蛙になっている文鎮で、これは夫が27年前に中国旅行に行った時のお土産です。もう一つは、岡部の友人みすずさんの手作り石文鎮です。いつもこの二つを使っていますが、大きな作品を描くときは総動員です。考えてみれば、本当に色んな道具に助けられています。

2007年7月 1日 (日)

6月30日 良寛戒語図

Dscn1412 夏になると、時々団扇や扇子に絵や字を描きますが、これは10年も前に書いた『良寛戒語』です。タイトルは“こころよからぬものは”です。中々含蓄あるものなので、ちょっと長いですが写してみます。

「こころよからぬものは、ことばの多き、口のはやき、とはず語り、さしで口、手がら話、公事の話、へらず口、喧嘩のはなし、人のことばを笑ふ、唐ことばを好みてつかふ、おのが意地をはりとほす、ひとの顔色を見ずしてものいふ、もの知り顔のはなし、この事すまぬうちにかの事いふ、あやまちをかざる、くれてのち其のことを人にかたる、学者らしい話、返すといひて返さぬ、にくき心をもちて人をしかる、悟りくさき話、酔ふてことわりいふ、かしましく物いふ、こどもにちゑつける、ふしぎばなし、腹たちながら人にことわりいふ、人をつかふに言葉のおほき、人のけしきを見ずしてものいふ、神仏のことかろがろしくさたする、親切げにものいふ、人をおだててなぐさむ、人にものくれぬさきにその事いふ、おれがかうしたかうしたといふ、この人にいふべきをあの人にいふ、鼻であしらふ、きはどくものいふ、あくびとともに念仏する。」

キビシィ~!・・・風呂上りなど、この言葉を書いた団扇であおぐと、冷や汗が出ます(笑)

« 2007年6月 | トップページ | 2007年8月 »