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道後温泉駅から7:26の電車に乗り、松山駅に向かいました。松山から高知まで、バスに乗れば2時間くらいで行けるそうですが、私は(倍の時間がかかりますが)宇和島を通り四万十川を眺められる鉄道の方を選びました。この選択は成功でした!汽車からの眺めは、新緑の素晴らしい景色を提供してくれ、私は興奮しながら、イメージを逃すまいと早書きスケッチを何枚もしました。見たものを一瞬で捉えるこの方法も、独自に身に付けたもので、少々緊張しますがとても勉強になります。宇和島駅から乗る予土線は、たった一両の電車です。四万十川沿いに走る景色は最高で、途中、こいのぼりの川渡りの所にさしかかると、なんと!電車を止めて見物させてくれました。これがローカルの良いところですね。
高知大丸デパートの会場では、多くの方々に見ていただき、スタッフの方々も一生懸命でした。17:00の電車に乗らなければならなかったので、結局、高知には3時間しか滞在していません。桂浜にも行きたかったけれど・・・。またの機会にとっておきましょう!
中川一政を、吉井画廊で一度だけ見かけたことがあります。小柄な身体の、どこにあのエネルギッシュな絵を描くパワーがあるのか、その時不思議な感じを受けました。昨日紹介した講演記録『書について』に出会った後、一政のあらゆる本を手に入れて読み耽り、また、展覧会の情報が入れば必ず上京し、その作品から直接多くのことを学びました。その頃の私は、子育ての真っ最中で、しかも書道教室もやっていたため、一日も無駄にしてはならないと貪欲に吸収しました。そのがむしゃらさがあったればこそ、感覚を鍛えられたと思います。若かったですね。
最近、再び、一政の本を読み始めています。そして、再び、自分の微力さを思い知らされています。
中川一政の本と出会ったのは、神田の「飯島書店」でした。書画を志す学生たちが多く集まっていた書店です。私も大学1年生でした。何もわからず先輩の後に付いて行った私は、書店の中の人々のムンムンとした熱気に、圧倒された事を今でも鮮明に憶えています。私は『書について』という中川一政の講演記録を購入して帰りました。感動・感動・・1ページ1ページが感動の連続でした。未熟な私の、書に対する考え方を一変させた因縁の本です。
それから20年くらい後、何気なくこの本を手にとり裏表紙を見ると、この講演記録の編集者が、若き日の島田正治氏と小池邦夫氏だったのにはまったく驚いてしまいました。この時はすでにお二人とは親しくさせていただいていたので、本当に不思議なこともあるものだと、つくづく感じた次第でした。
今まで、感動した本には何冊か出会いましたが、この『書について』に巡り会わなければ、もっと安易な人生を選んでいたかもしれません。
朝8:26発のバス“清水ライナー”に乗って、東京へ行ってきました。というのも、以前、2月23日にこのブログで紹介した、島田正治氏の個展が始まったためです。銀座みゆき通りに面した画廊のウィンドウには氏の大作が飾られていて、多くの人々が立ち止まって見入っていました。
氏がメキシコの大地に根を下ろし、筆一本で描きつづけている気魄が会場中に発せられて、心に響いてきました。私は久しぶりに“純粋芸術”に触れた気がしました。次女のてるひさんが、「父の魂の作品を見てください。」と語りかけていたのが、とても印象的でした。一人でも多くの方に見ていただきたいと思います。
ー 墨で描くメキシコ・島田正治展 ー
会期:4月23日(月)~28日(土)
会場:銀座文芸春秋画廊 ℡03-3571-6493
心経の図は、帰りのバスから見た興津の海です。水平線が綺麗に見え、小雨がぱらついていたのに、夕暮れの空には光がさしていました。
友達の澄ちゃんが、家で育てた大切な牡丹を届けてくれました。薄い花びらを幾重にも付けたその美しさは他を寄せ付けません。
さて、牡丹といえば、日本画には欠かせぬ花ですが、私は今までほとんど描いてきませんでした。何故かと問われれば、(あまり適切な表現とはいえませんが)「敷居が高かった!」と答えるしかありません。人と同じで花にも格があり、“花中の王”と呼ばれる牡丹の存在感は、その香りと共に周りの空気をいっぺんに華やかにしてしまいます。唐の白居易も「・・・一城の人、皆な狂えるが如し」と詠っているくらいですから、まあ・・役者でいえば、主役以外はできない存在ですね。・・・と言う訳で、私には似合わないと思い今まで敬遠して来た花ですが、久しぶりに牡丹と対面して、少し挑戦したい気持ちが湧き起っています。
毛氈の上に散った桜の花びらを集めて、李朝白磁の筆洗に浮かべました。ほんのり淡いピンク色・・・なんてやさしい姿でしょう! 桜とも、もうしばらくでサヨナラです。「来年もどうぞ綺麗な花を咲かせて下さい」と願いながら眺めていると、ついついセンチメンタルになってきますが、そんな感傷などお構いなく、散る時は(決まりごとのように強い風の日がやってきて)一気に散らせてしまいます。しかし、その春風は、花びらと共に“愁い”までも吹き飛ばしますから、春風の後にはきっと楽しい事が待っているはずです!
『閉戸欲推愁 愁終不肯去 底事春風来 留愁愁不住』 (戸を閉め切って、愁いを推し出そうとするが、愁いは出て行かない。ところがどうしたことだ、春風がやってくると、愁いをひき留めようとしても、愁いは残らない。)ー王安石ー
佐藤一斎の『言志録』の中に、“花”について述べている箇所があります。「已むを得ざるに薄(せま)りて、而る後に諸(これ)を外に発する者は花なり」(準備万端ととのって、やむにやまれなくなって、蕾を破って外に咲きだすのが花である)・・・花に対してこれ以上の表現があるでしょうか!自然界の精気が溢れて、火山の噴火のごとく爆発する・・・それが咲くと言うこと!だから美しいのです。
これを“人”に置き換えて考えてみると・・・日々の努力の積み重ねが心身に充満してくると、自然にその人の魅力が外にほとばしり出て、他人を感動させる魅力になってくると言うことでしょうか・・・。共に言えることは、「自然界も人間界も、日々の精進無くして花は咲かない」ということでしょうね。
・・あしひきの山の桜はうつろいぬ つぎて咲きこせ山吹の花・・(良寛)
様々な花には、それぞれに咲く時期があり、その花に似合う季節を神様が用意しています。山吹は美しい花ですが、桜の圧倒的な姿の前には敵いません。だから桜の後に登場し、その存在感を示します。
「花はこの世にあっても天界のもの」・・・ただただ私たちに喜びを与えてくれるのみです。時折そのことを忘れて傲慢になる自分がいます。その花の咲いた瞬間に出会えたことに素直に感謝し、描かせてもらえることに幸せを感じなければなりません。『心に花を 花は喜び 喜びは元気』 これは、謙虚な心に立ち返るために、作品の額の裏に書かせて頂いている私の戒めの言葉です。
桜を描く時は、とても根気が必要です。雑にならないように、丹念に、静かな心で描かなければ桜の醸し出す雰囲気は出せません。私は色々な花を描きますが、桜に限っては、このような繊細な線で・・ひとひら・・ひとひら・・表情を大切に描く描き方が、一番似合うように思いますし、私も情感を込めることができます。
染井吉野は、明治初期に大島桜と江戸彼岸桜が自然交配して生まれた変異種で、時代としては新しいものです。しかし、桜といえば「染井吉野」と言うほどに代表的な顔になりました。してみると・・・良寛さんの見た桜はソメイヨシノではなかったんだ!
ー ひさかたのあまぎる雪と見るまでに 降るは桜の花にぞありける ー (良寛)