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これは自作の虫シリーズ小皿で、5枚組みのうちの蟻と蝶です。・・・ここまで書いて、私が若い時分、習字塾を開いていた頃のことを思い出しました。その時、小さい子供たちに漢字の面白さを伝えるために、虫の付いた漢字(例えば、蛸・蝮・蛙・蟋蟀)や、魚の付いた漢字(例えば、鮒・鮑・鰹)、鳥の付いた漢字(例えば、鴉・鳳・鶯)などなど・・・を教えていました。そんな難しい漢字を~?とお思いでしょうが、決まりきった文字を習っている時より、「エ~ッ!こりゃむずかしいな~!」と言いながらも、目を輝かせて生き生きと練習します。“画数が多い漢字は子供には難しい”というのは、大人の傲慢な思い込みです。・・・そんな折の子供たちの楽しそうな姿から私はいつもパワーをもらっていました。今でも時々思い出します。
愛読書の一つに『菜根譚』があります。これは、優れた人生の書として、昔から多くの人々に読まれてきた書物です。著者は洪応明、明代に書かれた物で、江戸時代にわが国に伝わってきました。簡単にいえば“儒・仏・道を融合した処世書”ですから、融通無碍な日本人にぴったり合ったのではないでしょうか。そこが本場中国よりも、日本で人気があった所以でしょうね。
心経を書き終えてから、何気なく開いた箇所に「悟りの境地(後集32)」が出てきたので、ちょっと紹介します(守屋洋氏の訳文です)。
「静かさを愛する人は、流れる雲やものさびた石を眺めながら、幽玄の世界に心を遊ばせる。華やかさを好む人は、妙なる調べやあでやかな舞を鑑賞しながら、浮世の憂さを忘れる。これに対し、悟りの境地に達した人にとっては、やかましかろうが静かであろうが、華やかであろうがわびしかろうが、身を置くところすべてが理想の天地となる。」・・・どうですか、解りやすいでしょう!私は、この本を読むたびに、なにかホッとして無駄な力が無くなるような気がします。
裏の椿が、まだわずかに花をつけていました。残さず切ってもこれだけでした。玉之浦・肥後京錦・金魚葉・赤侘助・・・鉢に生けてみるとやっぱり可愛くて、あらためて「椿はいいな~」と感動しました。今から作品にしてみようと思っていますが、多分、今シーズンはこれで描きおさめになるのかな?それにしても、今までになくこの冬は椿に心とらわれて、一体何枚の作品を描いたでしょう!おかげで、ミモザも白木蓮も時期を逃してしまいました。残念です。でも、これからは・・・桜・山吹・うつぎ・山法師などなど、大好きな花々が次々に咲くので、今からワクワクしています。心身ともに充実した状態で次の季節を迎えようと思います。花たちよ、どうぞいっぺんに咲かないでおくれ!順番に順番に・・・!
岩絵具には、天然・新岩・準天然・合成と四つの種類があります。天然の物は鉱石を砕いてつくり(例えば群青は藍銅鉱・緑青は孔雀石など)、粒子は粗い物から細かい物まであって、細かくなるに従って色彩は淡くなります。粒子が違うものを混ぜることはできません。天然の岩絵具はそれ自体とても美しいので、私は本来の色を損なわないように、あまり混ぜることはしません。“新岩”というのは人工的に作った石で、従って色の種類も豊富で使いやすく作られています。私はだいたいこの2種類を使って描きます。日本画を習う人は、岩絵具の溶き方から教わるのでしょうが、私はすべて独学でやってきたので、失敗も多くあり、時間もかかりました。しかし、文字通り“体得”してきましたので、「絵具の個性は知っている」と思っています。色の種類は沢山あるので、私は食べ終わった岩海苔やジャムなどの壜を洗い、それらを入れて棚に並べています。なかなか美しいですよ!
昨日の夕方6時より、岡部町『ギャラリー未来』で5月18日~30日まで開かれる“Tシャツ展”の打ち合わせがあり、ユニークなTシャツアートで活躍されている北川純氏を中心に、出品者7名が集合し、ワイワイと話し合いました。以前、この企画をオーナーの有泉さんから聞いた時、私の中にあった好奇心の虫がザワザワと動き始め、「私も参加させて!」と相成った次第です。この日は、魂がキラキラ輝いている若いアーティスト達と交流を深め、学生時代に戻ったような楽しいひとときを過ごしました。長い打ち合わせも終わり、外に出ると、岡部町の夜空には輝きを増した星が瞬いていました。
ちなみに、このTシャツ展のタイトルは、「めざせ!世界遺産・Tシャツバトル展」に決まりました。すごいでしょ~(笑)
このごろ、とても空気の冷たい日々が続いています。お日様がかくれると、一層寒さが身にしみます。私は昔から暖房が苦手で、よほど寒い日でないとストーブはつけません。子供たちが幼い頃、「お母さん、家の中の方が寒いよ!」とよく言っていました(笑)。従って、当然アトリエには火の気がありませんから、着膨れて制作しています。
さて、今日の心経に描いた絵は、とってもめずらしく、寒さとは縁遠い“ベトナムの椿”です。ご近所の知子さんが、自宅のベランダで育てたものを持って来てくれました。そういえば・・・「いいものがあるよ」と先週耳打ちしてくれたのはこれだったんですね!椿イコール寒いというイメージがあるので、まさかベトナムに椿が咲こうとは思ってもいませんでしたが、皆さんはご存知でしたか? 所変われば品変わる・・・日本の椿に比べ、葉は枇杷の葉にそっくりで、花びらもズッと肉厚です。
江戸幕府三代将軍家光が、沢庵禅師を招いての有名な問答の一つに“地獄・極楽問答”がありますが、皆さんご存知でしょうか?
家光:「地獄・極楽とは何か・・・」
沢庵:「地獄・極楽は、要するに私たちの心の上のことであって、心が浄ければ、身体はどこにあっても極楽です。心が穢れておれば、たとえ金殿玉楼に住んでいても、そこは地獄です。心が浄いというのは、自我(エゴ)の一念を捨てること、自我に執らわれる心を捨てるなら、そこに大きな、ひろい、光に満ちた自分が見いだされましょう。そこが極楽です。」(松原泰道『沢庵』)
“自我(エゴ)に執らわれる心”これが全ての悩み、全ての争いの原因ですね。これが無くなれば、苦しみなど無い心穏やかな日常となり、戦争など無い平和な世界になるわけですから・・・。以前、中村天風の「人生は心一つの置きどころ」という言葉を紹介しましたが、表現こそ違え、偉い人は一様に同じ境地にたどり着くものですね。私も修行!修行!
中村天風は、「積極的というのは、心の尊さと強さと正しさと清らかさが失われない状態をいう」と、その著書『自分に奇跡を起こせ!』で述べており、さらに「この4つの中のどれか1つでも欠ければ、絶対積極ではなくなる。4つの柱が揃ってはじめて“大我を生きる人”になれる」と言っています。なかなか奥が深い言葉ですが、生まれた時に神様から平等に与えられた“良心”を本に生活していれば、尊さ・強さ・正しさ・清らかさは自然に育ってゆき、積極的人生へ進めるように思います。ここに描いた椿は、今、見ている前でポトリと花を落としました・・・短い花の一生です。翻って人の一生は、その考え方・過ごし方で長くも短くもなります。私はお釈迦様のように、人の一生を“一切皆苦”とまでは思いませんが、確かに苦しく辛いことは多いですね。天風の言う積極的人生とは、“苦しみを取り去り、喜びを呼びこむための方法”と解釈することも出来ますが、どうでしょう?
この冬も何枚の椿の絵を描いたでしょう!やっぱり椿の花は魅力的ですね。花にはそれぞれ個性がありますが、その中でも椿の花には“意思の強さ”を感じます。堅い枝に堅い葉をつけ、美しい花びらをつけ・・・。眺めていると背筋がシャンとしてきます。以前、岡部町のギャラリー未来で聞いた話しですが(たしか、みすずさんだったかな~~)、「椿の前では、決して嘘をついてはいけない」という言い伝えがあるそうです。何故なのかは聞きそびれましたが、感覚として納得できるような気がしたことを憶えています。その本意は今でも解りませんが、一輪挿しただけで空気までもが張りつめるので、フニャフニャした気持ちでは向き合えないことは事実です。
今朝、注文していた佐藤はるひさんの本『メキシコの大地に抱かれて』が届きました。ドキドキしながら荷を解き、手にした時に感動して、「おめでとう」の言葉が自然に出てきました。2月23日の文に、島田正治氏のことを書きましたが、氏のお宅に初めて伺った時、たまたまはるひさんの高校受験の発表の日で、合格の電話を受けてご両親と一緒になって喜んだ思い出があり、その後お会いした時のとても明るく理知的な印象と共に、私の記憶の中に強く残っています。そんな可愛いお嬢さんが、素敵な女性に成長され、こんな立派なエッセイを出版されるようになろうとは・・・。この本の推薦のことばは、かつて一緒に仕事をされていたというNHK名物アナウンサーの山川静夫氏から寄せられていますが、締め括りの部分に次のように書かれています。「・・・・・自分の父親の慈愛は十分わかっていても、それをことばで表すのは、なかなか難しいものですが、はるひさんはこのエッセイによってみごとに父親の正治さんを表現しました。よかったね、はるひさん。うらやましいよ、お父さん!」・・・氏の嬉しそうな顔が浮かんできます。
昨日、アールアン社長と額屋のんのん、それに大野さんも一緒に横浜の個展会場に行きました。帰りも辻堂駅まで車に乗せてもらいましたが、途中で夕飯をとりながら四人でゆっくり話しをする機会を得ました。出会いから今までのことを振り返ってみたり、これからの夢を語ったり、本当に楽しいひとときでした。夢を持つのは、なにも若者だけの特権ではありません。物理的な若さだけが若さでもありません。大野さんが御赤飯をこしらえてきて下さったのも、“これからの私”へのエールだと思い、心から嬉しくなりました。私の周りには、このように支えてくださる友人達がいます。こうした人たちのおかげで、心身ともに喜びと力が湧き出て、創作するエネルギーになっているんだと、近頃つくづく感じています。
絵を描いていて、よく受ける質問があります。「どのくらいかかって描かれましたか?」と・・・。それに対して、簡単にかかった時間だけを答えていいのかどうか困ってしまうことがよくあります。なぜならば、作品の出来は時間では計れないからです。以前、“簡単な事ほど奥が深い”話しを書きましたが、作画にしても全く同じことが言えます。良い作品が出来上がる時は、本当に無駄な動きも無く、絵具も無駄なく、短時間で出来てしまいます。それとは別に、表現がうまくいかず迷路に入り込んでしまった絵は、なかなか生かしてあげることができません。でも、そんな作品も簡単な線や色を加えてあげることで、甦ってしまう時があるのですから、本当に摩訶不思議です。
昨日“ombak”で買ってきたチューリップを心経に描こうと思って、「さあー!」と気合を入れて紙に向かった瞬間、電話のベルが鳴りました。あわてて行ってみると、奇妙な音と共に電話機から白い紙が現れてきました。我が家に来た始めてのファックスです。実は、我が家は1週間前まで黒いダイヤル電話でした。世の中がどんどんIT社会へと変わっていく事にチョッピリ抵抗して(・・本当はただの面倒くさがりです・・)、周りから珍しがられながらも、さして不便も感じないままダイヤル電話で過ごしていました。ところが、いよいよ仕事の都合でファックスが必要となり、プッシュホンに変えたという次第です。・・・その記念すべき最初のファックスは、私の作品をジクレー版画にして発表してくれているAPJからでした。とにかく、電話機から少しずつ姿を現してくる印刷された紙を見ていると、妙に感動してしまいました。こうした科学の恩恵を受けていながら、人はその原理をどれだけ理解しているでしょう?今の世の中は、まさに魔法の時代ですね!
まだ雛祭りの一日前だというのに外はポカポカ暖かく、まるで四月の陽気です。久しぶりに朝からゆっくりと用事を済ませ、アトリエに長く座っています。やっぱり、私はここで過ごす時間が一番好きです。壷に生けた花、今までこつこつ集めた小物類、本、紙、筆、絵具・・・・・。この愛すべき物たち全てで、この部屋の空気が出来上がっています。そして、硯石の傍には棟方志功の写真集を置いています。鉢巻をして無精髭を生やした志功が、こちらをグッと睨みつけており、度の強いメガネの奥から「いいかげんな仕事はするな!」と言っている様で、身の引き締まる思いがします。私はいつも、神様のような顔をしたその写真に、「心を込めて描かせてもらいます」と挨拶をしてから紙に向かいます。
永田町『黒澤』に、「影武者」の時の春日山城の絵コンテの葉書が置かれてあり、それをいただいて来たので、模写してみました。とうてい実物には近づけませんが、描いていて黒澤監督の息遣いを感じました。絵の横には監督の言葉が添えてあり、常々私も同じような思いを持ちながらいましたので、ここに紹介します。「日本人は、何故日本という存在に自信を持たないのだろう。何故、外国の物は尊重し、日本の物は卑下するのだろう。歌麿や北斎や写楽も、逆輸入されて、はじめて尊重されるようになったが、この見識の無さはどういうわけだろう。」・・・どうですか?日本の黒澤は、このような思いをバネにしながら“世界の黒澤”になっていったんですね。
永田町にあるレストラン『黒澤』へ行ってきました。ここは“世界の黒澤”の店で、店内は黒澤明監督作品ゆかりの品々や絵コンテなどがセンスよく配置されています。外観も店内も、黒澤組の美術スタッフが演出しているというだけあって、黒澤映画を髣髴とさせ感動しました。メニューは“黒澤家のホームパーティで出された気取らない物”と言うことですが、とても格調が高く、食材への拘りは徹底しています。一流とはこういうものかなと認識を新たにしました。私はここで、陶芸家の道川省三さん、食文化総研(『黒澤』も経営するお店の一つです)社長の玉置さんのお二方のお話しに耳を傾けながら、美味しい食事をいただきながら、楽しい一時を過ごしました。芸術論・文化論、そして食の話し等など・・・お二人の幅広い知識に感心しながら聞き入っていました。とにかく触発されました!そして・・・帰りの電車の中で決意したことは、「黒澤監督がこれだけの評価を得ているのも、有無を言わせず惹きつける作品の魅力にあるわけだから、とにかく皆を感動させられるような質の高い作品を描こう」と言うことです。ちょっとおこがましいですが、そんなことを考えました。